戦争裁判における天皇の免罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 14:57 UTC 版)
「昭和天皇の戦争責任論」の記事における「戦争裁判における天皇の免罪」の解説
戦後、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判では、昭和天皇を訴追する動きもなかったわけではないが、早い時期にそのような動きは撤回され、天皇は裁かれないことになった。また、戦争直後には昭和天皇が退位するという選択肢もまったく検討されなかったわけではないが、実際には戦後の民主的な選挙によって構成された国会によって日本国憲法が制定され、大多数の国民の支持を得た上で昭和天皇は天皇の地位にとどまり、戦後の象徴天皇制が始まった。 これに対して、昭和天皇の戦争責任を追及する立場の人物[誰?]は、これらの一連の措置は、アメリカによって行われた非民主的な措置であり、昭和天皇の戦争責任を歴史的な研究課題として今日まで未解決のまま残した決定的な原因であるとしている。しかも、この措置は戦争責任に関する議論によって決定されたものではなく、多くは冷戦に向かう戦後政治の中で、日本を西側陣営に引き込もうとするアメリカなどの西側連合国の政治的な動機により採られたものだったと強く主張している。 一方、昭和天皇の戦争責任を追及しない立場の人物[誰?]は、アメリカによって行われた合理的な措置であり、戦後日本の民主化への移行をスムーズに導いた要因であるとしている。この措置は、日本国民に根付く天皇の伝統文化的な価値観と誇りを破壊することによって生じるであろう多大な悪影響と混乱を回避し、民主化達成後の日本国民自らがその価値観を象徴天皇という概念として受け入れるための意識改革にとって適切な思考期間を与えた成功例であると主張している。仮に昭和天皇が戦犯として処刑されていた場合、あれほど日本国民がアメリカの占領政策に協力したであろうか。それだけではなく現在の日本人の価値観、思考などさまざまな点で異質の民族性を生み出していた可能性が指摘されている。
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