戦争の駒とは? わかりやすく解説

戦争の駒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 03:20 UTC 版)

西フロリダ」の記事における「戦争の駒」の解説

西フロリダは、1682年から1763年まで、東部スペイン西部フランス分かれて統治されていた。スペインフロリダ植民地一部としてペンサコーラ拠点置いていた。フランスフランス領ルイジアナ一部としてモービル拠点としていた。フランス領ルイジアナは、ヌーベルフランス一部とも考えられた。七年戦争フレンチ・インディアン戦争)を終結させるパリ条約交渉において、イギリススペイン領フロリダフランス領ルイジアナ一部譲り受けたフランス領ルイジアナ一部とは、ミシシッピ川とペルディド川の間でポンチャートレイン湖の北の地域であったフランス別の条約ルイジアナ残りスペイン割譲したイギリスはその領土東フロリダと西フロリダ分割した東フロリダ現在のフロリダ州にほぼ相当し西フロリダミシシッピ川ポンチャートレイン湖を西の境界に、北緯31度線を北の境界に、アパラチコラ川を東の境界にしていた。西フロリダ首都ペンサコーラとし、1763年11月知事ジョージ・ジョンストンであった1764年イギリス北部境界北へ動かしヤズー河口から東にチャッタフーチー川まで、北緯32°28'に設定し現時ミシシッピ州アラバマ州南部およそ3分の1を含むことになったアメリカ独立戦争の間、知事はピーター・チェスターであったフロリダ駐在イギリス軍の指揮官はジョン・キャンベル・オブ・ストラチャーであったアメリカ独立戦争終結させる1783年パリ条約で、イギリスフロリダスペイン戻した境界をはっきりさせていなかった。スペイン1764年拡張され境界望んだが、アメリカ北緯31度線要求した1795年のサンロレンゾ条約で、スペイン31度線を境界認めた1800年秘密のサンイルデフォンソ条約で、スペインは元フランス領ルイジアナフランス戻した。しかし、この時も境界をはっきりさせていなかった。1803年フランスアメリカルイジアナ譲渡ルイジアナ買収)したとき、スペインアメリカの間に別の境界紛争起こったアメリカはペルディド川からミシシッピ川までを主張したが、これは1763年フランス割譲した時の古いルイジアナ植民地一部であったスペインはその地域西フロリダ一部として管理していたことと、1800年フランス返還した領土一部ではないと主張した

※この「戦争の駒」の解説は、「西フロリダ」の解説の一部です。
「戦争の駒」を含む「西フロリダ」の記事については、「西フロリダ」の概要を参照ください。

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