戊辰戦争から西南戦争まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:09 UTC 版)
「永田熊吉」の記事における「戊辰戦争から西南戦争まで」の解説
西郷隆盛に同行し、京都、江戸、鹿児島を往来した。戊辰戦争では江戸城無血開城に向けての西郷隆盛と勝海舟との会談の際に西郷に同伴して薩摩藩の蔵屋敷に行っている。長岡山の戦いでは撃たれた仲間を助けようとした際に左大腿部を貫通する銃撃を受けたことが「西郷隆盛一代記」に書かれている。 明治維新後、西郷が明治政府に呼ばれた時には日本橋の西郷邸(現在の中央区立日本橋小学校付近)に住み、身の回りの世話から金銭管理、下男の雇用までを任されていた。西郷が征韓論で下野し、東京から鹿児島に戻る際には日本橋の土地や家を売るのに尽力した。 西南戦争でも西郷に同行し、延岡・和田越えの際には右足に銃弾を受け膝下を切断する負傷をおった西郷菊次郎を背負い、隆盛の弟である西郷従道のもとへ投降したことで知られる。従道は甥の投降を喜び、熊吉に礼を言ったとされる。その時は熊吉も額に軽い怪我を負っていた。
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