悪女伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 09:47 UTC 版)
『太平記』は、廉子が「殊艶」のみならず「便佞」であったために後醍醐天皇からの寵愛を独占したとする一方で、新政挫折の一因には、廉子と護良親王による政権内抗争があるとして、「雌鳥が鳴いて夜明けを報せると一家が滅ぶ」という中国の諺を引き合いに出し、批判的な叙述を行っている。 しかし、正妃である西園寺禧子から帝の寵を奪った傾城傾国の悪女という記述は、『太平記』以外には見られず、他の現存資料と一致しない。『太平記』内部でも4巻などでは後醍醐と禧子の仲睦まじさが描かれており、廉子悪女説は物語としても設定が破綻している。史実ではないことが描かれた理由として、『太平記』研究者の兵藤裕己は、一つ目には、編纂者が文学的効果を狙って白居易の漢詩「上陽白髪人」を下敷きに創作したことと、二つ目には、現行の『太平記』の1巻・12巻・13巻には、建武政権批判を意図して、室町幕府からの改竄が加えられていると見られることを指摘している。
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