悟後の修行とは? わかりやすく解説

悟後の修行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/01 05:52 UTC 版)

聖胎長養」の記事における「悟後の修行」の解説

禅宗においては見性得た身心をさらに長く養い悟り育てる悟後の修行を「聖胎長養」という。修行済み、ある境地得たといっても、それを真に無碍自在に活用できるうになるがために、容易に世に出ずに、さらに心境錬ること。人は一度悟ったとしても、慢心しているとすぐ迷妄陥るからとする。 唐代初期馬祖道一の『馬祖語録』「示衆」の「見色見心」にて、「色の空なるを知るが故に、生は則ち不生なり。若し此の意を了せば、乃ち時に随いて著衣喫飯し、聖胎を長養して、任運に時を過ごすべし」とあり、馬祖道一門下大梅法常、亮座主大珠慧海大悟したのち、聖胎長養にみな励んだという。 日本においては、悟後の修行である聖胎長養鎌倉時代末期大燈国師関山慧玄重視した大燈国師は、大応国師から与えられた『碧巌録』の雲門の関字の公案3年かけて透過し大応印可得た大燈は、京都帰り鴨川東岸あたりで乞食群れ入り日夜刻苦精励したと伝えられる。これが有名な五条橋下二十年聖胎長養」である。関山京都洛北大徳寺開山大燈国師について修行、禅関の奥義極め52歳のとき、印可関山慧玄道号授かり美濃の伊深の里に身を隠し里人一緒になって牛を追い田畑耕して悟後の修行に励んだとされる大燈20年関山慧玄9年白隠の師正受老人44年聖胎長養の時を持っている江戸時代白隠禅師はこれを取り入れ、「見性」と「悟後の修行」の2段階の修行唱えた最大関門は「見性」であるとし、「本来の面目」を覚知自証した後は、これに満足せず修行者は「悟後の修行(聖胎長養)」によって悟り深めることで、禅の完成があるとした。この修行臨済宗の禅の特徴となった白隠は、その法語では、しばしば、永遠の「悟後の修行」を勧め、たとえ悟り得て菩提心なければ魔道堕つ説く菩提心とは上求菩提じょうぐぼだい)と下化衆生げけしゅじょう)であり、自利坐禅公案修行と、利他の心、すなわち四弘誓願実践、人を助く法施勧める法施とは、法を説いて人に施すこと。つまり、仏の教え説いて人びと救おうという実践、それが菩提心であると説いた。そのためにあらゆる分野書物読んで学問をして、それによって人に施せとした。

※この「悟後の修行」の解説は、「聖胎長養」の解説の一部です。
「悟後の修行」を含む「聖胎長養」の記事については、「聖胎長養」の概要を参照ください。

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