志々満流兵法居合術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 01:53 UTC 版)
渡邊が修得した複数の古伝をもとに再構築した武技と理合を具現すべく創始。現存する古伝の武術は長い歴史を持つ故に、伝承の過程で解釈の違いや誤解、理論の迂回、不整合等を包含している。さらに、失伝や解釈不能の項目等も散見される。渡邊の家伝には、一般に失伝及び解釈不能とされている項目に対して、幾つかは伝承があり再現されたものもある。完全に失われたものはなす術もないが、誤謬や破綻は真摯に理合と向き合うことにより、多くを解決することが出来た。これらの地道な作業を踏まえて、志々満流兵法は整理された簡潔な理合を持つに至たり、試行錯誤を排した合理的な学習が可能となった。 居合とは、常なる状態から、図らずも抜刀し斬り合わなければならない状態への移行を余儀なくされた際、その刹那において、抜けざる刀を抜き、立てざる腰を立て、かわせざる太刀をかわすという術である。そもそも居合とは、常から斬り合いへと移行する際(きわ)をしのぐ術であって、その後は剣術へと移行する。多くの居合術は、この際(きわ)より後の剣術を持たない。志々満流兵法は、居合形を組み太刀へと発展させることにより、本来は立会いに拠るところの間合、緩急、太刀筋、太刀使い、駆引き等の要項を学習する。 以下に術歌を紹介する。 酔生と夢死の狭間に浮き草の 揺蕩ふごとく活くる愉しさ 志々満流兵法術歌 (すいせいと ぼうしのさまに うきくさの たゆとうごとく いくるたのしさ) “酔夢館”の由来と中伝歩法”浮き草”を詠む。
※この「志々満流兵法居合術」の解説は、「渡邊耕三」の解説の一部です。
「志々満流兵法居合術」を含む「渡邊耕三」の記事については、「渡邊耕三」の概要を参照ください。
- 志々満流兵法居合術のページへのリンク