徹夜の朝議とは? わかりやすく解説

徹夜の朝議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 05:34 UTC 版)

四侯会議」の記事における「徹夜の朝議」の解説

この5月23日タイムリミット迫った慶喜決死覚悟をもって朝議臨んだ。本来朝命によって召集されたはずの四侯も全員列席すべき立場であったが、すでに半ば諦め気味の雰囲気漂い結局春嶽、宗城の2人参席したのみである。慶喜意気込みにもかかわらず朝廷側の抵抗激しく、「先帝の御遺志」を盾に兵庫開港許可拒んだ板挟みにあった二条摂政結論先延ばしを図る。しかし、夜半休憩中にも慶喜は春嶽に「今回ばかりは議決するまで何昼夜かかって退去しない覚悟である。さもなくば必ず(大久保・西郷らの)工作再開されてしまう」と述べ驚異的な粘り見せた翌日未明至り、あまりの会議長さ散会しようとした二条に対して大納言鷹司輔政が「天皇将軍良しとする勅許をこの会議決められないようでは天下乱れ朝廷今日限りである」と発言。父の輔煕にたしなめられるが、これを機に朝臣らも二条優柔不断責め流れとなり、ついに明け方摂政折れ兵庫開港および長州寛典論を奏請し、明治天皇勅許を得ることが決定した慶喜主導して徹夜の朝議で勅許勝ち取ったことは、一連の政局における慶喜の完全勝利と四侯会議側の敗北意味した

※この「徹夜の朝議」の解説は、「四侯会議」の解説の一部です。
「徹夜の朝議」を含む「四侯会議」の記事については、「四侯会議」の概要を参照ください。

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