ようねん‐がっこう〔エウネンガクカウ〕【幼年学校】
読み方:ようねんがっこう
「陸軍幼年学校」の略。
幼年学校
幼年学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 08:32 UTC 版)
帝国軍傘下の教育機関。10歳で入学し、15歳で卒業/修了する。修了すると、通常は准尉の階級で任官する(ただしラインハルトの場合は特別扱いとして少尉の階級で任官した)。また、ラインハルトの従卒であるエミールや、ロイエンタールの従卒を務めたハインリッヒ・ランベルツなどのように、在学中に将官級の軍人の従卒を務めることがある。 基本的に貴族と上流市民の子弟が通う学校とされており、単なる平民の生まれであるキルヒアイスが入学できたのはラインハルトの希望とアンネローゼの尽力があってのもの。ラインハルトとキルヒアイスが幼年学校に入学した時点では、門閥貴族出身の生徒の贅沢な振る舞いを黙認するような面はあったものの、成績評価そのものはストイックに訓練や学習に励んだラインハルトやキルヒアイスを認めるものだった。
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幼年学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 01:41 UTC 版)
1982年(昭和52年)に東京陸軍幼年学校の同窓会である東幼会が編纂した『東京陸軍幼年学校史 わが武寮』には、皇族・王公族の同期生に関する逸話が収録されている。 東幼17期、18期、19期には連続して皇族が在籍し、当時の修学旅行では行く先々の沿道で奉迎され、提灯行列や花火も行われた。26、27、28期にも連続して皇族が在籍したため、頻繁に皇族の台覧を受けた。 東幼30期には、朝香宮家の孚彦王と李鍝公が在籍していた。同期生の回想によれば、二人とも他の同期生と分け隔てなく付き合い、週末に帰省する以外は、学科・術科、生活面や教官からの指導を含め、他の同期生と同様の待遇を受けていた。李鍝公宛てに幼少からの婚約者朴賛珠から送られた手紙を、同期生が奪い取って読もうとした逸話も残る。この期も、地方では奉迎を受け、同期生もその余恵を受けた。 戦後も期生会(同期会、OB会)での交流が続いた。東幼27期の期生会「同袍会」では会長を臣籍降下した竹田恒徳が、副会長を日本に帰化した李鍵(桃山虔一)が、それぞれ務めていた。
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