平版印刷の登場
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1797年、ミュンヘンの俳優であったアロイス・ゼネフェルダーは平版による石版印刷を発明した。劇作家でもあった彼は、できるだけ安価に台本を印刷できるよう、試行を経てこの方式を開発した。この方式は楽譜を書くのとと大きく変わらないので、作曲家自身によって制作されることも多く、これにいち早く取り組んだのがカール・マリア・フォン・ウェーバーだった。ウェーバーはゼネフェルダーと知り合ったことで、1800年に《創作主題による6つの変奏曲》を石版印刷で出版した。 ゼネフェルダーは1799年、当時オッフェンバッハで銅版印刷を用いて楽譜印刷を手がけていたヨハン・アントン・アンドレと手を組み、世界初の石板印刷所を創立した。この石版印刷所は、銅版印刷の約7分の1の製版費用、約半分の印刷費で高品質の楽譜を浄書し出版したといわれている。この方式は彫版印刷とともに19世紀の主要な楽譜印刷方法となった。 ただ、石版印刷では、版替えの際に石版の表面を丁寧に研磨する必要がある上、印刷時に大きな圧力を要すること、石板石自体が大きく重いため持ち運びが不便なこと、多色刷りに手間がかかるなどの問題を抱えていた。1904年、アメリカのアイラ・ルーベル(ハンガリー語版)は、石版の代わりに金属版を用いるオフセット印刷を発明し、この方式は石版印刷に取って代わって用いられるようになった。 日本で楽譜が浄書されるようになったのは明治の中頃といわれている。ヨーロッパから帰国した作曲家が木版印刷を伝えたのが最初で、大正に入る頃には石版やコンニャク版などでも製版するようになった。昭和に入ると楽譜の需要は増し、1928年に春秋社から80巻に及ぶ『世界音楽全集』が出版されると、日本の楽譜製作は軌道に乗り出した。戦後には、先端が音楽記号になっている特殊なタイプライターが登場した。 欧州では彫版による浄書が行われていたのに対し、日本や韓国ではハンコを用いた浄書が行われていた。音楽記号をツゲの木に彫刻したハンコで、予めカラス口で引いた五線の上に音符を押印していた。ハンコ浄書では、写真を撮って印刷原版を作り印刷を行う。
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