布教の旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:21 UTC 版)
以後30年間、裸体でガンジス川中流域のマガダ、アンガ、ヴィデアの諸国を遊行しながら、その教え(「精神の自由」という永遠の真実)を説き広め、とくにヴァイシャーリー地方には多くの信者を獲得していった。その教えはバラモンによる祭祀を認めず、ヴェーダの権威とカースト制度を否定し、当時としては合理的な世界観をともない、サンジャヤ・ベーラッティプッタの懐疑論は実践の指針とはならないとして、実践のあり方を具体的に示した。 マハーヴィーラは、ヴァイシャーリーの豪族の出身であり、ヴァイシャーリー王とも実母を通じての縁故があったため、布教上の便宜も多く、またマガダ国の王妃もヴァイシャーリー王家の出身だという関係でしばしばマガダの王都ラージャグリハ(ラージャガハ)にも赴いた。彼の教えはいたる所で歓迎され、40万人の信奉者がいた所もあったと伝えられている。 マハーヴィーラは、気候上もっとも厳しい季節であっても素足で衣服なしで説教をした。モンスーンの間は、他の聖人たちと同様、町の周囲に滞在した。
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