巨人8年目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:45 UTC 版)
2000年は開幕から4番打者を務め、以後日本シリーズ、日米野球なども含めて、他の打者に4番を譲ることはなかった。 右小指をグリップにかける打法に変えたことで、あまり強くバットを握らずにリラックスして構えられるようになったことで打撃は凄味を増し、シーズン半ばまでは三冠王を狙える勢いで打ち続けた。 7月12日の広島戦で通算1000本安打を達成。最終的に135試合全イニングで4番打者を務め、いずれも自己最高の打率3割1分6厘、42本塁打、108打点を記録。シーズン全試合4番出場は巨人では1950年の川上哲治以来50年ぶりの記録だった。本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVP、日本シリーズMVP、ゴールデングラブ賞を受賞し、巨人の日本一の立役者となった。 なお、この年の日本シリーズMVP受賞によって川上哲治、大下弘、福本豊、トーマス・オマリー、古田敦也に次ぐ史上6人目の「レギュラーシーズン、オールスター戦、日本シリーズにおけるMVP獲得者」となった。プロ野球界に最も貢献した人物に贈られる正力松太郎賞も初受賞した。 同年の日米野球では、メジャーリーグ選抜のボビー・コックス監督に「ゴジラはいいねえ。バットスイングが速い」と称賛された。この時点では「大リーグなんて、そんな」とメジャー挑戦に否定的だったが、「野球をやっていて、大リーグを全然考えないと言ったら、うそになるかもしれません」と2年後のFA移籍に含みを持たせた。 11月21日には石川県県民栄誉賞を受賞した。 契約更改では、松井のメジャー流出を危惧した球団側が8年総額56億円という破格の長期大型契約を持ちかけたが、松井は「一年一年が勝負という気持ちでプレーしたい」として単年契約にこだわり、球界最高(当時)の年俸5億円でサインした。
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