岩屋と獅子頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 15:04 UTC 版)
七座山の権現座の東の斜面には岩屋があり、その内部には円仁(慈覚大師)作と伝承される獅子頭がある。江戸時代にはこの獅子頭を「権現様」といい、庶民の信仰対象になっていた。現在でも脳卒中の神として信仰されている。 この獅子頭は江戸時代の紀行家である菅江真澄により、絵として記録されている。現在の獅子頭は長い年月のうちに風化が進んでいる。菅江真澄の絵図とも大きくかけ離れており、特に右目が削られているという。権現の岩屋の中には火を焚いた跡がある。 また、この近くには「井戸ッコ」という小さなわき水がたまる水がめがある。これは七座神社の祭神の一つである「天津神」として信仰されている。雨乞いのとき、井戸ッコの水を全部くみとり、権現様に祈り、集落に戻ってくると雨が降ると言い伝えられている。また、暴風雨の時には、白い絵馬を七座神社に奉納し、干ばつの時には、黒い絵馬を奉納したとされる。『七座郷土史』でも麻生地区では家ごとに一人出て太鼓を打ち鳴らし雨乞いをする行為が記録されている。ただ、戦後はこの行事も途絶えてしまったと記されている。 法華の岩屋は、権現の岩屋から徒歩で南約10分程度のところに位置している。岩屋の上部には穴が岩一面に形成されていて蜂の巣状になっている。岩屋の中には「鬼子母神」と刻まれた石碑などがあり、かつて修験の場として利用されたと思われる。 七座山を信仰していたのは、七座山から東側の人たちで、元々は北秋田郡の地区の人たちであった。この地区は二ツ井町と言語や信仰が違っていたという。
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