尾北電気の設立
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先述の通り、板取川電気は1914年の時点で後に合併する中濃電気のほかにも可児川電気・犬山電灯という系列会社を持っていた。この2社は1918年3月1日に新設合併により統合、尾北電気株式会社(びほくでんき)となった。 前身のうち可児川電気は岐阜県可児郡御嵩町の会社で、板取川電気の支援により1912年(明治45年)3月20日に設立。社長は武藤助右衛門で、ほかの役員には御嵩町など地元の人物が名を連ねていた。資本金は設立時5万円、1913年の増資以降は10万円。逓信省の資料によると開業は1913年4月1日付で、御嵩町など可児郡の町村を供給区域とした。供給する電気は家庭の電灯のみならず可児郡で盛んであった亜炭採掘時の排水作業にも用いられた。発電所は上之郷村大字美佐野(現・御嵩町美佐野)の可児川支流津橋川に設置(美佐野発電所、出力60キロワット)。上流に堰堤を設置して貯水池を作っていたが、1915年(大正4年)8月10日、豪雨により貯水池が決壊して下流の田畑が浸水し1名が死亡するという事故を起こした。復旧と補償により経営が悪化したため板取川電気から経営支援を受け、1917年6月には本社を美濃町に移した。 一方犬山電灯は愛知県丹羽郡犬山町(現・犬山市)の会社で、1912年1月15日に設立。資本金は5万円(1916年6月5万円増資)。社長は犬山町の林春太郎で、取締役には武藤助右衛門も名を連ねる。逓信省の資料によると開業は1912年10月8日で、犬山町などを供給区域とし、自社発電所を持たず名古屋電灯からの受電を電源としていた。当時名古屋電灯は長良川発電所や八百津発電所といった大型発電所建設のため販路を拡大しており、犬山電灯や一宮電気、稲沢電気などが名古屋電灯からの受電を始めている。 可児川電気・犬山電灯の合併で新設された尾北電気は本社を犬山町に構え、資本金は当初30万円であった。次いで尾北電気は1920年11月30日、神淵川電気株式会社を合併し、資本金を70万円増の100万円とした。同社は美濃町の会社で、資本金35万円にて1919年8月10日に設立。岐阜県武儀郡上麻生村字本郷(現・七宗町上麻生)に飛騨川支流神淵川を用いる神淵川発電所(出力160キロワット)を建設し、1920年8月に竣工させていた。
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