小説史での位置付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 07:24 UTC 版)
『荘子』では、つまらぬ説、些末な議論といったものを「小説」と呼び、後漢の班固は『漢書』の「芸文志」で諸子百家の分類で思想的でない「街談巷語、道聴途説」(噂話や立ち話程度)の著作者を「小説家」とした。その後数が増え、雑多になっていた小説類を明の胡応麟が六類に分けた。その一つに志怪があり、『捜神記』、『述異記』、『宣室志』、『酉陽雑俎』などが挙げられている。この後裔として六朝時代に志人小説を小説と呼び、唐宋時代に志怪のことを志怪小説と呼ぶようになった。この経緯から、『列異伝』は成立に不明の点もあるため、『捜神記』が現代的な意味での中国小説の祖とされる。 ただし荘子や班固の「小説」は議論のあるものを指しているが、志怪小説、志人小説は、面白い話ではあるが作者の主張は含まれないことが多い。志怪小説や伝奇小説は文語で書かれた文言小説であるが、宋から明の時代にかけてはこれらを元にした語り物も発展し、やがて白話(口語)で書かれた『水滸伝』『金瓶梅』などの通俗小説へと続いていく。
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