小田急3000形電車 (初代)とは? わかりやすく解説

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小田急3000形電車 (初代)

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小田急3000形電車(おだきゅう3000がたでんしゃ)は、1957年(昭和32年)から[8]1992年(平成4年)まで[9]小田急電鉄が運用していた特急用車両[9]ロマンスカー)である。   本項では大井川鉄道(当時)に譲渡された車両についても記述する。


注釈

  1. ^ 現在のJR西日本阪和線羽衣支線
  2. ^ 1933年11月運行開始の、紀勢線に直通する鉄道省制式客車を阪和電気鉄道の電動客車で牽引する南紀直通列車「黒潮号」と、同年12月運行開始の「超特急」での記録。いずれも阪和天王寺 - 東和歌山間ノンストップ運転であった。「黒潮号」は1937年12月1日のダイヤ改正で廃止、「超特急」は1940年12月1日に阪和電気鉄道が南海鉄道へ合併された際にも存続したが、1941年7月1日か同年12月1日のいずれかに実施されたダイヤ改正で廃止となり、この時点で阪和電気鉄道以来の阪和間45分運転は終了したと推定されている[34][35]
  3. ^ 具体的には、「新宿から小田原までを60分で走ることによって、1編成が新宿と箱根湯本の間を往復するのに折り返し時間を含めたとしても180分で済み、箱根特急を60分間隔で運行する場合に必要な車両が3編成で済む。新宿から小田原まで60分以上かかると4編成が必要」というものであった[38]
  4. ^ 例えば、輸送改善委員会が目標として想定した阪和電気鉄道は、輸入品の100ポンドレール(50 kg/mレール相当)を敷設し、十分な容量の変電所施設や架線設備を用意した上で、1時間定格出力200馬力級 (149.1 kW) 電動機を4基ずつ装架する自重53 t(基幹形式となる3扉ロングシート車であるモタ300形のメーカー実測値[40]。公称自重は47 t - 48.56 t)の超重量級車両を走らせて前述の記録を達成していた。また、阪和電気鉄道のモデルとなった新京阪鉄道も、軌間こそ異なるものの同様の車両・施設で、天神橋 - 京阪京都間42.4 kmを34分で走破する(表定速度74.8 km/h)超特急を同時期に運行していた。なお、同時代における小田急の車両とこれら関西私鉄で用いられていた重量級電車の重量差は公称値でも10 t以上、電動車の出力差は約300馬力に達した[40]
  5. ^ 1800形で速度を上げて飛ばしたら、線路の犬釘が抜けてしまったこともあったという[41]
  6. ^ しかし、当初は研究所生え抜きの研究者からことごとく否定され、倉庫のような研究室しかあてがわれていなかった[47][48]
  7. ^ 島の部下だった星晃は「言葉は悪いが、島は山本の構想を利用したのではないか」と述べている[57] が、一方の山本は、1957年6月に行われた展示会での談話の中で、研究所の支援を受けられたことについて「将来国鉄でも役立つとの考えからであったと思う」と述べている[58]
  8. ^ 研究会が行われた時間帯は、就業時間が終了した午後5時から午後8時までで、小田急の担当者はこの研究会を「夜学」と呼んでいた。研究会の一部に参加した生方良雄は「我々が考えてもいない発想をしていると思った。海軍出身の技術者から授業を受けているような雰囲気で、ずいぶん勉強になった」と述べている[59]
  9. ^ a b 当時、経堂工場の建物の奥行きは67.5mしかなかった[70]
  10. ^ a b 後年、生方良雄は「SE車の8両をよく狭い経堂工場で整備できたものだ」と感想を述べている[69]
  11. ^ この時点で日本に存在した高速電気鉄道向け連接車は、1934年に登場した京阪60型、1942年に登場した西鉄500形、1952年に改造によって登場した名鉄2代目400形の3形式しかなく、いずれも2車体か3車体であった[74]
  12. ^ 当時の日本で、外板にステンレス板を使用した車両は関門トンネル区間用の国鉄EF10形電気機関車しかなく、日本で初めて電車でステンレス外板を使用した東急5200系電車の登場も小田急SE車登場の翌年であった。日本において、鋼体全てがステンレス鋼というオールステンレス車両や、アルミ軽合金製車両の登場に至っては1960年代に入ってからであった。
  13. ^ 新幹線0系電車先頭部の形状抵抗係数は0.21である[90]
  14. ^ 1700形・2300形の客用扉も、特急専用車だった頃は手動扉であった[96]
  15. ^ 制動・気制動を併用するという表記。
  16. ^ 「ハイスピードコントロール (High Speed Control) ・ダイナミックブレーキ (Dynamic Break) 付」の略である。
  17. ^ 従来の鉄道車両では側受に数ミリの隙間を設け、荷重の全てを原則的に心皿が負担する方式が用いられていた。しかし軽量化の観点からは、左右の枕ばねに近い側受で荷重を常時負担する方が揺れ枕など心皿周辺の各部材断面の縮小が図れて有利であった。
  18. ^ 2・3号車の間、4・5号車の間、6・7号車の間。
  19. ^ 山本利三郎は「経堂工場でSE車を見せたら、なかなか離れなかった」と回想している[140]
  20. ^ 山本からの提案に対する島の答えは「やろうじゃないか」だったという[138]
  21. ^ 国鉄時代、私鉄の車両が国鉄で走行試験を行ったのは、SE車以外には1982年に東海道本線でLSE車を使用した走行試験の事例があるのみである[158]
  22. ^ それまでの国鉄線上での最高速度記録は、1954年12月にC62形蒸気機関車17号機が東海道本線木曽川橋梁上で記録した129km/hで[165]、この時のSE車の記録はC62形17号機の記録をも上回る。
  23. ^ 国鉄側の責任者だった石原は、沼津到着後に車両を点検する山本と三木の姿を「子供が入学試験に通った時のような顔をしていた」と回想している[171]
  24. ^ 当時は片浜駅は未開業。
  25. ^ 竣功届は営業運行開始後の1959年3月2日提出であった[183]
  26. ^ 銅粉末やグラファイトなどを混和焼結して形成される焼結銅合金の一種。日本粉末合金によって1949年に実用化された。カーボンと比較してトロリー線との接触抵抗が小さく熱伝導率も高いため、過大電流の通流時のトロリー線溶断事故抑止に有利という特徴がある[187][188]
  27. ^ 台車の数が変わっていないため、廃車になった2両は車体のみの状態。
  28. ^ これは、小田急側が譲渡条件として提示したもの。大井川鉄道は当初3両連接に改造しての使用を考えていたが、先頭車両に乗客用扉の設置(改造)は小田急側が承服せず、3両連接では中間車の扉片側1箇所のみで営業列車に使用できないため、結局、5両連接のまま導入された。
  29. ^ JR東海371系電車RSE車

出典

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  221. ^ 一部車両の解体と今後の保存・展示について - 小田急電鉄 2018年4月27日(インターネットアーカイブ
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