国鉄線上での試験とは? わかりやすく解説

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国鉄線上での試験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)

小田急3000形電車 (初代)」の記事における「国鉄線上での試験」の解説

折りしも研究所ではこの年5月30日研究所創立50周年記念して銀座山葉ホールにて「東京 - 大阪間3時間への可能性」という講演会開いていたが、この講演大きな反響呼び朝日新聞社後援していた関係から国電中吊り広告にも掲載され新聞・雑誌などでも取り上げられていた。既に、国鉄では後に新幹線となる高速電車列車開発向けた動き始まっていたのである。しかも、この講演会三木発表した内容は、車体に関してSE車とほぼ同様の考え方であった山本この年7月2日に、国鉄技師長として復職していた島に対して試験収集されたデータ小田急国鉄双方利用することを条件として、「東海道本線貸してもらえないだろうか」と SE車国鉄線上での高速試験申し入れていた。これに対して、島は「国鉄の方から要求して試験することにしたい」と、SE車国鉄線上での高速試験快諾した試験本来の目的基本データ収集であったが、「高速電車列車開発につながるものであればなんでも利用したい」と島は考えたのである。島は国鉄側の責任者として副技師長の石原米彦を指名石原は「絶対に145km/h以上出さないこと」を条件受諾した。 この決定には、国鉄部内でも「国鉄私鉄の車両借りて高速試験をするとは何事だ」「ライバル路線私鉄電車国鉄線で試験するなど論外」 といった反対意見出た当時国鉄部内には客車機関車牽引する機関車列車方式動力集中方式)に対する「信仰」が根強く残っていた が、分散動力方式支持者からも「国鉄面子立たない」という反対意見多かった最終的には「国鉄試験車両作るまで待てない」と押し切るしかなかったという。 一方SE車日本初めての信託車両であり、最終所有者支払い終了するまでは住友信託銀行であった ため、「80系電車のように試験中に燃えてしまったらどうするのか」という声も上がったまた、国鉄線内事故発生した場合責任所在などの問題もあった。それらの問題解決し1957年9月小田急社長安藤楢六国鉄総裁十河信二との間で、SE車貸借について契約が行われ、高速試験そのもの保険を掛けることで決着した。 こうして、私鉄の車両国鉄線上高速試験を行うという、日本の鉄道史上で初めてとなる 国鉄私鉄合同試験が行われることになった試験交渉窓口担当者として、山本陣頭指揮にあたることになった

※この「国鉄線上での試験」の解説は、「小田急3000形電車 (初代)」の解説の一部です。
「国鉄線上での試験」を含む「小田急3000形電車 (初代)」の記事については、「小田急3000形電車 (初代)」の概要を参照ください。

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