小松家と落人伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 01:48 UTC 版)
小松家は平維盛の末裔とする伝承があり、紀伊半島各地に多数ある平家落人の伝承のひとつと位置づけられる。小松家は日光社の鎮座する上湯川の支配者であっただけでなく、日光社の支配者であった。紀州徳川家の紀州入部に際し、徳川頼宣が在地勢力を掌握してゆく過程で小松家は「小松」の姓を認められたが、湯浅党や畠山氏といった中世武士の系譜に連なる他の在地勢力とは異なり、小松家は具体的な中世の事績を欠き、平家の系譜を述べるのみである。系譜を裏付ける文書の類も、天正年間(1573年 - 1593年)に書写され、後に大正頃に再書写した系譜の他は数は少なく、ほとんどは焼失しているという。文化7年の書上帳には、先祖より上湯川一円を領地として受け継ぎ、慶長年間(1596年~1615年)に浅野氏に鹿皮50枚を献じるのと引き換えに諸役免を得たとあり、さらに元禄5年には高野騒動に際して鉄砲20挺を差し出していることなどから、小松家は非農業民の棟梁としての性格をもった有力者であって、それが近世に至って認められたものと考えられる。
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