小川谷の姫宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 09:48 UTC 版)
吹田市には2つの伊射奈岐神社(佐井寺社と山田東社)があり、ともに雄略天皇23年に創建とする。佐井寺社の社伝には『貞観から延喜(859-922)年間に伊邪那美神を東北の地に遷座。これを姫宮と称し、本社を奥宮と称した』とある。一方、山田東社の社伝には『雄略天皇23年に小川谷に姫宮を創建。後に姫宮を高庭山に遷座、貞観15年に社名を五社宮に改名した」とする。 佐井寺社、山田東社ともに貞観元年(859)神階授与があったと伝えるが、日本三代実録には「伊射奈岐神に従五位上を授けた」とあり、実際に神階を授与したのは伊射奈岐神を祀る佐井寺社のみで山田東社にはなかった。江戸時代の国学者 伴信友は「伊射奈岐神、伊邪那美神の2柱は共に皇祖神であり、本来2社に授与されるべきものが、山田東社にはなかった事から山田東社の伊射奈岐神社は、貞観から延喜(859-922)年間に佐井寺社から勧請されたもの」とした。 ところが大阪府全志には「貞観前の仁寿2年(852)に姫宮の高庭山への遷座が行われた」とあり、勧請前に姫宮が存在したとする。 年代順に並べると山田東社の社歴は「雄略天皇23年に小川谷に姫宮が創建 → 仁寿2年(852)に姫宮を高庭山へ遷座 → 貞観から貞観15年(859-873)年間に佐井寺社から伊邪那美神を勧請 → 貞観15年に社名を五社宮に改名」となる。勧請とは神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ることをいう。主神と同じ神を勧請することはない。このため勧請により主神が代わったと思われる。 現在、姫宮があった小川谷の場所は不明であるが「山田小川公園」にその名を残す。区画整理により川筋は変更されているが公園の隣りには現在でも小川が流れる。かっての川跡にあたる樫切山交差点には隣接する大神木神社がある。社の由緒書きには、天照大神のご神託による豊受大神宮の伊勢遷宮の途中、当地に「仮宮」を建て1年余り鎮座したとの経緯が記録されている。社伝に見える「仮宮」と山田東社の「姫宮」が、ともに創建された年が雄略天皇23年である事から仮宮が後の姫宮であると思われる。伊射奈岐神社(佐井寺社)の社伝にも天照大神の神託を受けた斎宮倭姫の御示教により佐井寺社が雄略天皇23年9月16日に創建したとある。しかし、佐井寺社と山田東社の社伝には、雄略天皇の時代に弱小豪族だった藤原氏の氏神を皇族か祀るなど懐疑的な点があるこたから、後世に藤原氏による改竄が行われたと考えられる。祭神以外に改竄されたものがなければ、大神木神社と姫宮の創建は雄略天皇23年9月16日であろう。
※この「小川谷の姫宮」の解説は、「大神木神社」の解説の一部です。
「小川谷の姫宮」を含む「大神木神社」の記事については、「大神木神社」の概要を参照ください。
- 小川谷の姫宮のページへのリンク