対独レジスタンス文学
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「ジャン・ゲーノ」の記事における「対独レジスタンス文学」の解説
1939年9月に第二次大戦が勃発。1940年5月にドイツ軍がフランスに侵攻し、6月15日にパリが陥落。ゲーノは、知識人による対独レジスタンス・グループ「全国作家委員会(フランス語版)」の結成に参加、次いで共産党が結成したレジスタンス・グループ「国民戦線(フランス語版)」の非合法の刊行物の一つである文学月刊誌『レットル・フランセーズ (フランス文学)』を中心としたグループにも参加した。これはジャック・ドゥクール(フランス語版)とジャン・ポーランが創刊した雑誌であり、ルイ・アラゴン、フランソワ・モーリアック、クロード・モルガン、エディット・トマ(フランス語版)、ジャン・ブランザ(フランス語版)、ジョルジュ・ランブール(フランス語版)、レーモン・クノー、ジャン・レスキュール(フランス語版)らが参加。対独協力作家らに対抗するレジスタンス文学(抵抗文学)の最も重要な雑誌の一つとされる。さらに、ヴェルコール(ジャン・ブリュレル)とピエール・ド・レスキュール(フランス語版)が創刊した地下出版の「深夜叢書」 の活動に参加し、セヴェンヌの筆名で『監獄で』を出版した。深夜叢書はこの他、ヴェルコールの『海の沈黙』、ルイ・アラゴン(筆名フランソワ・ラ・コレール)の『グレバン蝋人形館』、フランソワ・モーリアック(筆名フォレ)の『黒い手帖』、エルザ・トリオレ(筆名ローラン・ダニエル)の『アヴィニヨンの恋人』、ジャン・カスー(筆名ジャン・ノワール)の『ひそかに書いた33のソネット』、クロード・アヴリーヌ(筆名ミネルヴォワ)の『失われた時』、クロード・モルガン(筆名モルテーニュ)の『人間のしるし』、ポール・エリュアール(筆名モーリス・エルヴァン)、ピエール・セゲルス(フランス語版)(筆名ルイ・マスト)、ジャン・レスキュール(筆名ジャン・ドラマーユ)が22人の詩人の作品を編纂した『詩人の名誉(フランス語版)』などを地下出版した。ゲーノはこうした功績により1947年3月31日にレジスタンス勲章を受けた。また、「ジャン=ジャック・ルソー伝」の執筆を開始したのも戦時中であり、これは、戦後1948年から52年にかけて3巻として刊行された。 1943年から44年まではパリ15区のリセ・ビュフォンで教鞭を執った。これは、コレージュから準備級までの課程を含むリセだが、ゲーノはヴィシー政権により第4学年(コレージュ2年目)の担当に降格された。
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