富山電気ビルデイング
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富山電気ビルデイング(とやまでんきビルデイング)は、富山県富山市桜橋通りにある建築物。富山県内では電気ビルディングあるいは電気ビルと呼ばれている。1936年4月8日に竣工し、富山市内では富山県庁舎(富山県庁)とともに第二次世界大戦以前に竣工した建築物である。
- ^ a b c d e f g h i 北日本新聞 2019年1月5日付30 - 31面『祝・富山電気ビルディング国登録有形文化財(建造物)登録記念 いつも、いつまでも、富山とともに』より。
- ^ a b c d “挑戦 北陸財界ものがたり 北陸電力(4) 電気ビル 発展に貢献”. 中日新聞 (2014年10月21日). 2019年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月9日閲覧。
- ^ a b c “富山電気ビルを国有形文化財に 文化審が答申”. 北國新聞 (2018年7月21日). 2018年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月9日閲覧。
- ^ 『登録有形文化財(建造物)の登録について』(PDF)(プレスリリース)文化庁、2018年7月20日 。2019年2月10日閲覧。
- ^ “電気ビル本館・新館の国登録有形文化財(建造物)の正式登録”. 富山電気ビルデイング管理部 (2018年11月2日). 2019年2月10日閲覧。
- ^ “国の登録有形文化財(建造物)の登録について”. 富山県教育委員会 (2018年7月21日). 2018年9月16日閲覧。
- ^ 『まんまる』2018年6月号(北日本新聞社)10ページ
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第一巻』(2000年5月20日、富山市発行)224頁。
- ^ 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)193頁。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞発行)68頁。
- ^ 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)673‐674頁。
- ^ 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)592頁。
- ^ 『北陸電力70年史』(2021年11月、北陸電力発行)601頁。
- ^ a b 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)194頁。
- ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)32 - 33頁。
- ^ 電気ビル物語
- 1 富山電気ビルデイングとは
- 2 富山電気ビルデイングの概要
- 3 沿革
- 4 関連項目
富山電気ビルデイング
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「富山電気ビルデイング」も参照 1935年、富山市中心部において市街地を南北に分断していた神通川廃川地の埋め立て工事が完成した。工事を行った富山県では、造成地を売却するにあたり、新社屋建設を検討していた日本海電気へと打診する。それを受けて同社は埋立地のうち約3000坪の土地を購入し、新ビル運営・管理のための新会社「富山電気ビルデイング株式会社」を1936年(昭和11年)2月に設立した。設立時の資本金は100万円で、計2万株のうち1万3250株を日本海電気で持ち、ほかに黒部川電力・小松電気・高岡電灯や中央の大同電力・日本電力(日電証券)、富山県周辺に工場を持つ日本カーバイド工業・日満アルミニウム・電気化学工業・日清紡績・大日本人造肥料などが出資した。 富山電気ビルは1936年3月31日に竣工。地下1階・地上5階からなり、日本海電気・黒部川電力が入居したほか、4階にはホテル・レストランと富山社交倶楽部、5階には大ホールが開設された。
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