実恵
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実恵(じちえ/じつえ・実慧、延暦5年(786年)?[1]- 承和14年11月13日(847年12月24日))は、平安時代前期の真言宗の僧。空海の十大弟子の一人。 俗姓は佐伯氏、讃岐国の出身で空海の一族。檜尾僧都・道興大師とも称される。初代東寺長者とされている。
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- ^ 享年62説による。享年を63、61とする説もあり、生年は定かでない。
- ^ 智灯『弘法大師弟子伝』、道猷『弘法大師弟子譜』では大安寺泰基となっているが、貞観9年に恵運が記した「安祥寺伽藍縁起資財帳」(平安遺文1-164)に「東大寺泰基」とあるほか、『高野雑筆集』所収の「両相公」宛書簡に「東大杲隣・実恵」とあり、実恵が東大寺を本寺としていたことが明らかなので、東大寺が正しい。
- ^ 入滅の日について、他に12月12日、10月など諸説ある。国史に実恵の死亡記事はないが、この年の12月2日に律師長訓が少僧都になっているので、11月までに死去したとみられる。
- ^ 「本朝伝法灌頂師資相承血脈」(『大日本古文書』家わけ19、醍醐寺文書之一、279号)所載。
- 1 実恵とは
- 2 実恵の概要
実恵
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天文5年5月4日(1536年5月23日)は、戦国時代の浄土真宗の僧侶。願証寺2世。諱を兼幸。幼名を光智。通称を右衛門督。蓮淳の次男。母は滋野井教国の娘・妙蓮。実淳(顕証寺住持)の弟。正室は勝恵の娘・藤向。子に証恵、延深(恵光寺住持)、証淳(実淳養子、顕証寺住持)などがいる。
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