孤独な幼年期とは? わかりやすく解説

孤独な幼年期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:36 UTC 版)

ナポレオン2世」の記事における「孤独な幼年期」の解説

ナポレオン・フランツの新たな家庭教師は、メッテルニヒ推薦によりモーリッツ・フォン・ディートリヒシュタイン(英語版)が務めオーストリア・ドイツ風の教育あたった。ナポレオン・フランツは「自分フランス人である」という自覚持ち、ディートリヒシュタインに抵抗した1816年3月7日に、母マリア・ルイーゼパルマ公国統治任され後ろ髪を引かれる思いパルマへと旅立っていった。祖父フランツ1世は、ナポレオン崇拝者による誘拐や反ナポレオン派の反発による暴動考慮して、ナポレオン・フランツの身を案じ、またその将来危険視してウィーン残留させた。ナポレオン・フランツはフランス語初めの手紙を書き、母宛て思慕伝えたマリー・ルイーゼ首相であるナイペルク伯の公私にわたる助力を受けながら、パルマ女公として同地統治したマリー・ルイーゼは、パルマ公位が諸国との折衝によって一代限りであることに落胆しながらも、ナポレオン・フランツのために新たな称号創設強く要望した。家名最終的に皇弟ライナー大公提案領地(ライヒシュタット(英語版)、現在のチェコ共和国)の提供により「ライヒシュタット公」とすることとなった。ナポレオン・フランツは、初めドイツ語手紙書き祖父フランツ1世御礼伝えた同年秋、マリア・ルイーゼはナポレオン・フランツを祝うためウィーン帰京する予定だったが、極秘裏にナイペルクの子を身篭ったため、ナポレオン・フランツとの面会果たせなかった。母親約束破られた彼は、この時大変に悲しんだという。1817年5月1日に、ナイペルク伯との娘アルベルティーネ(ドイツ語版) を出産した。 ナポレオン・フランツは、祖父フランツ1世後妻皇后カロリーネ・アウグステや後にブラジル皇后となる叔母マリア・レオポルディーネら、皇帝一家一員として非常に可愛がられた。一方少年が父ナポレオン1世異常なまでに関心を寄せることに、周囲困惑した。また父に似て反抗心も強かった。 母マリー・ルイーゼとの再会叶ったのは、別れから2年以上が経った1818年6月1日だった。母子ウィーナーノイシュタットに近いテレジエンフェルト(英語版)で対面したが、ナポレオンの妹カロリーヌや弟ジェロームをはじめナポレオン崇拝者群衆集いナポレオン歳」と叫ぶ混乱となった9月までのひと夏を母子水入らず過ごし、またナイペルク伯にもよく懐いた8月22日、ナポレオン・フランツは正式にライヒシュタット公に叙された。 パルマ戻ったマリア・ルイーゼは、1819年8月9日にはナイペルク伯爵息子のヴィルヘルム・アルブレヒト(ドイツ語版) を生み、その夏も再び息子との面会約束破った。翌1820年夏に母子再会し、この時はナイペルク伯は前妻との息子グスタフ同伴し、ナポレオン・フランツと賑やかに過ごした1821年5月5日、幼い時に別れたまま一度再会することがなかった父ナポレオン1世セントヘレナ島逝去した。この知らせ7月13日ウィーン届き祖父フランツ1世配慮により、家庭教師一人フォレスチ大尉Johann Baptist von Foresti)からナポレオン・フランツに伝えられると、父の死知った少年は、伏して号泣したウィーン宮廷では、ライヒシュタット公のみが喪に服した。母マリー・ルイーゼ女公7月16日知らせを受けると、同月24日付で息子に、悲しみ共有し激励する手紙送った。ナポレオン・フランツやその側近は、女公からの手紙に感激した。ところが同年8月8日、母マリー・ルイーゼナイペルク伯は極秘裏に再婚貴賤結婚)し、8月15日女公は再びナイペルク伯の娘を出産した。さらに1823年に、マリア・ルイーゼナイペルク伯爵との第4子を出産したこの間1821年1822年は、流産及び妊娠したこともあって、息子には会わなかった。

※この「孤独な幼年期」の解説は、「ナポレオン2世」の解説の一部です。
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