大躍進政策によるチベット地域での犠牲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 04:24 UTC 版)
「チベット問題」の記事における「大躍進政策によるチベット地域での犠牲」の解説
詳細は「大躍進政策」を参照 中国全土で5,000万人の餓死者を出したといわれる大躍進政策は、チベットでも行われ、東チベットでは、集団農場(人民公社)が設立された。しかし餓死者は続出し、1989年の中国社会科学院の調査では、飢饉で死亡した数は1,500万人とされる。この他、人口統計学者のジュディス・バニスターは、3,000万人と推計している。 1980年代の北京経済制度研究所による報告書では、パンチェン・ラマの故郷である青海省では、人口の45%に当たる90万人が死亡し、四川省では900万人が死亡したという。飢饉について研究したジェスパー・ベッカーは、「中国のいかなる民族も、この飢饉によってチベット人ほどの苛酷な苦難に直面した人々はいない」と指摘している。 この大躍進政策については、1959年、毛沢東は失敗を認めて国家主席を辞任し、1962年1月の中央工作会議で劉少奇国家主席は「三分の天災、七分の人災」と述べて、大躍進を批判し、毛沢東は生涯一度の自己批判を行った。
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