大葉富男とは? わかりやすく解説

大葉富男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 20:09 UTC 版)

大葉亀之進」の記事における「大葉富男」の解説

大葉富雄 (おおば とみお、1926年10月9日-)は40歳超えてからこけし工人となった。亀之進と同じように、大葉富男も稲子区長務めた冬季生活必需品は大葉富男の妻が、事前に町役場購入希望物品リスト連絡し、町の職員手配して町保有の雪上車使って月に2-3回町から大場宅前まで運んでいた。1980年代山形県高畠町土地購入して一家移住しようとしたことがあったが、亀之進が「俺は伊達政宗山守絶対に出て行かねぇ」と譲らず実現しなかった。1996年まで冬の間は郵便配達もしていた。稲子峠が除雪されない頃は、スキーかんじきを履いて8km離れた湯原地区郵便局まで毎日4時間かけて往復した1997年ごろは妻が稲子で最も若い住人で(当時68歳)、地区老人世話役をしていた。1999年父親亀之進が死去する2007年10月大葉富雄宅で「町政懇談会」が開催され梅津雄町長より冬季の集落外移住生活が提案されたが、「町政懇談会」に参加したのは大葉夫妻2人だけであった大葉夫妻以外の全員冬季稲子去り町で生活することを決めた。また山形県米沢市に住む長男は、米沢市自宅改装して2世帯同居ができるようにしたが、大葉富雄夫妻は今になって大場亀之進の稲子離れようとしなかった気持ち判るとして、同居の話を断った2010年、妻が脳内出血となり後遺症麻痺により身の回りの生活に不自由が発生するようになった。そのため、2012年から東京埼玉に住む娘2人2週間交代稲子滞在し家事介助をするようになった米沢市長男買い物病院送迎のために週に1回稲子訪れようになった2011年七ヶ宿町稲子地区への町道除雪費用節減吹雪のときの救急患者搬送の困難より、冬季稲子地区を離れて老人施設空いている町営住宅生活するように改め要請した除雪作業回数削減により事実上冬季稲子で生活できなくなり住人全員冬季は山を下りて町で生活することになった2012年には住人の数が1となったが、2013年現在大葉家には亀之進が書いた木地講習会資料図面である「木地細工製作寸法張」が残されていた。2008年頃までのこけし作品認められているが、2015年には加齢によりこけし制作止めている。2017年夏91になった大葉富男は、88歳になる妻の介護のこともあり、稲子離れて町の中心部にある特別養護老人ホームに入ることになった施設入所後は、毎日のように「稲子帰りたい」と漏らして妻を困らせたという。

※この「大葉富男」の解説は、「大葉亀之進」の解説の一部です。
「大葉富男」を含む「大葉亀之進」の記事については、「大葉亀之進」の概要を参照ください。

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