大葉富男
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大葉富雄 (おおば とみお、1926年10月9日-)は40歳を超えてからこけし工人となった。亀之進と同じように、大葉富男も稲子の区長を務めた。冬季の生活必需品は大葉富男の妻が、事前に町役場に購入希望物品のリストを連絡し、町の職員が手配して町保有の雪上車を使って月に2-3回町から大場宅前まで運んでいた。1980年代に山形県高畠町に土地を購入して一家で移住しようとしたことがあったが、亀之進が「俺は伊達政宗の山守。絶対に出て行かねぇ」と譲らず実現しなかった。1996年まで冬の間は郵便配達もしていた。稲子峠が除雪されない頃は、スキーやかんじきを履いて8km離れた湯原地区の郵便局まで毎日4時間かけて往復した。1997年ごろは妻が稲子で最も若い住人で(当時68歳)、地区の老人の世話役をしていた。1999年に父親亀之進が死去する。2007年10月、大葉富雄宅で「町政懇談会」が開催され、梅津輝雄町長より冬季の集落外移住生活が提案されたが、「町政懇談会」に参加したのは大葉夫妻2人だけであった。大葉夫妻以外の全員が冬季は稲子を去り町で生活することを決めた。また山形県米沢市に住む長男は、米沢市の自宅を改装して2世帯同居ができるようにしたが、大葉富雄夫妻は今になって大場亀之進の稲子を離れようとしなかった気持ちが判るとして、同居の話を断った。2010年、妻が脳内出血となり後遺症の麻痺により身の回りの生活に不自由が発生するようになった。そのため、2012年から東京と埼玉に住む娘2人が2週間交代で稲子に滞在し家事介助をするようになった。米沢市の長男も買い物や病院送迎のために週に1回稲子を訪れるようになった。2011年、七ヶ宿町は稲子地区への町道の除雪費用節減と吹雪のときの救急患者搬送の困難より、冬季は稲子地区を離れて老人施設や空いている町営住宅で生活するように改めて要請した。除雪作業回数の削減により事実上冬季は稲子で生活できなくなり、住人全員が冬季は山を下りて町で生活することになった。2012年には住人の数が1桁となったが、2013年現在も大葉家には亀之進が書いた木地講習会の資料や図面である「木地細工製作寸法張」が残されていた。2008年頃までのこけし作品が認められているが、2015年には加齢によりこけし制作を止めている。2017年夏、91歳になった大葉富男は、88歳になる妻の介護のこともあり、稲子を離れて町の中心部にある特別養護老人ホームに入ることになった。施設入所後は、毎日のように「稲子に帰りたい」と漏らして妻を困らせたという。
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