壁画運動の画家達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 10:11 UTC 版)
「メキシコ壁画運動」の記事における「壁画運動の画家達」の解説
前述の3人の作風は多様である。 リベラはメキシコの民衆絵画や土着文化の色彩・構図・伝承の研究をし、古代ラテンアメリカ文明の工芸品も多数集めて絵画の研究に役立てていた。同時に前衛美術の体験で身につけた構成力を生かして、細部を簡潔に省略した画風で、神話的な過去から革命の未来へ様々な物語が積み重なる重層的な壁画を作り出し大きな評価を得た。彼は彼は海外にも招かれ、1932年にはニューヨーク近代美術館の個展も成功させている。 シケイロスは20年代を通して、壁画制作だけでなく革命家として南米やヨーロッパ訪問を繰り返し、各地で政治活動をしたり投獄されたりした。彼は抑圧された民衆の顔や叫びなどを強烈な手法で描いた絵画など、迫力ある攻撃的な絵画を多く描いた。攻撃的なのは内容だけではなく、壁面に顔料を吹き付けるスプレーガンや下絵を壁に投射する映写機、工業用の塗料、写真や映画の編集で得られたモンタージュなど新しい視覚手法を矢継ぎ早に応用した。 一方、オロスコは主に古代メキシコの神話やメキシコの生活に題材をとって壁画を描いた。風刺画家もしていた彼は様々な寓意に満ちた辛らつな絵画を作ったが、リベラらのような革命礼賛より、むしろメキシコ史の悲しみやメキシコ革命のもたらした影や悲惨が強く出た作品を作った。これが非難されたため彼は一旦アメリカに渡るが、1930年代にメキシコに帰り母国を取り巻く問題や機械文明の暗部などを掘り下げるようになった。 なお彼らより若い世代のメキシコ人画家ルフィーノ・タマヨも壁画運動に携わるが、彼はこれら三大巨匠とは違って社会主義や革命には距離を置き、私的な風景などを描いた。
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