壁村耐三と手塚治虫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 04:03 UTC 版)
『まんが王』の編集者時代には原稿のあまりの遅さに腹を立てて手塚治虫を殴り、翌朝に編集長とともに謝罪したと語っている。 手塚の原稿を破ったも言われるが、この件についてアシスタントだった古谷三敏は、「締め切りに遅れた原稿を床に投げ捨てたことが話が大きくなった」と話している。ただし、手塚が締め切りを破ったこと、それに対して壁村が腹を立てたことはその件以外にもあったとされ、藤子不二雄Aも手塚の原稿を手伝いに行った際、壁村が「酔っぱらって原稿をまき散らした」ことがあったと証言している。 手塚にハサミを投げつけた、実際に手塚プロに殴りこんだ時には手にしていたリンゴを手塚に投げつけた(ただし、投げつけた相手は手塚のマネージャー・松谷孝征とする説もある)など様々な逸話を残している。 一方で劇画ブームの最中にあって人気が落ちていた手塚にオファーを出し、『ブラック・ジャック』の連載をとりつけたことでも知られている。当時の漫画界で手塚は既に過去の人とみなされており、『ブラック・ジャック』は実質的に手塚最後の作品として当初5回の連載を予定して企画されたものだった。社内でも反対の声は大きかったが、壁村は「先生の最後を看取ってやらないか」という台詞でまわりを説得したという。 自分が編集者を辞めるときは、「手塚オソ虫の腕を折る」と語っていたが、実際は手塚のことが大好きで作品にも人柄にも惚れ込んでいたという。壁村の自宅に飾られていた唯一の色紙は手塚の「ブラック・ジャック」だった。手塚の側でも壁村をモデルにしたヤクザのキャラクターを「ブラック・ジャック」に登場させていた。 手塚永眠の数日前に、半蔵門病院に秋田書店の代表として行き、家族の許可を得て病床で面会し会話を交わしたというエピソードが、(一応取材を元に描いたとされる)少年チャンピオン50年史である漫画(魚乃目三太『チャンピオンズ』、秋田書店、2020年)に出てくる。
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