地震学の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 07:03 UTC 版)
「リスボン地震 (1755年)」の記事における「地震学の誕生」の解説
宰相セバスティアン・デ・カルヴァーリョの震災に対する対応は、都市の再建にとどまらなかった。宰相は国中のすべての教区に質問状を送り、地震とその影響を回答させた。この質問には以下のようなものがあった。 地震はどのくらい続いたか。 例えば南北方向に強く揺れたというふうに、地震の揺れに特定の方向はあったか。建物の崩壊でも、特に一方向に崩れるということはあったか。 余震は何回感じられたか。 死者の数など、どのような被害があったか。 海水位は引くのが早かったか、それとも上昇が早かったか。海は普段の水位からどれだけ上昇したか。 動物が不審な振る舞いをしなかったか。 井戸や水穴には何が起こったか。 これらの質問へ寄せられた回答は、現在も国立公文書館トーレ・ド・トンボ(サン・ジョルジェ城)に保存されている。現代の研究者たちは教職者たちの回答を研究し、相互に参照して、大地震を科学的な見地から再現することができる。宰相が考えた質問がなければ、これは不可能であった。客観的かつ科学的に地震の原因と結果を調べようとしたポンバル侯爵は、近代地震学の先駆者と評価されている。 この地震の原因などについては、残された資料や地質調査などをもとに、今日も研究者により研究と議論が続いている。
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