国立嘉義技術学院の沿革
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「国立嘉義大学」の記事における「国立嘉義技術学院の沿革」の解説
国立嘉義大学の前身である国立嘉義技術学院の歴史は1919年に設立された台湾公立嘉義農林学校に溯る事ができる。台湾総督府は台湾農業の発展に必要な人材育成を目的に工業学校を設立、1921年には行政区画変更に伴い台南州立嘉義農林学校と改称された。 1945年、日本の敗戦に伴い中華民国政府による接収が行われると10月25日に台湾省立嘉義農業学校と改称された。その後、台湾省立嘉義農業専科学校、国立嘉義農業専科学校と改編され、1997年7月1日に国立嘉義技術学院へと昇格した。 1919年 : 台湾公立嘉義農林学校として開校 1921年 : 台南州立嘉義農林学校と改称 1931年 : 第17回全国中等学校優勝野球大会に出場。初出場で決勝戦に進出。その後も名将・近藤兵太郎監督の下、春1回、夏4回甲子園に出場。 1945年10月25日 : 台湾省立嘉義農業職業学校と改称 1965年7月1日 : 5年制の台湾省立嘉義農業専科学校に昇格 1971年 : 2年制の夜間部を設置 1975年 : 全日部にも2年制課程を設置 1981年7月1日 : 国立嘉義農業専科学校と改称 1997年7月1日 : 国立嘉義技術学院に昇格 2000年2月1日 : 国立嘉義師範学院と合併し国立嘉義大学として開校
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