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近藤兵太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/03/28 15:28 UTC 版)
近藤 兵太郎(こんどう ひょうたろう/へいたろう、英語表記:Hyotaro(Heitaro) Kondo、1888年 - 1966年5月19日)は、愛媛・松山商や、台湾・嘉義農林学校野球部などで監督を務めた人物。松山商野球部を初の全国出場に導くなど戦前の黄金時代の礎を築いた監督として、そして日清戦争で日本に割譲されていた当時の台湾から甲子園に出場した嘉義農林を準優勝に導いた指導者としても有名で、台湾野球史にもその名を残す。
- ^ 平安中の台湾出身選手については岡村俊昭の項目も参照のこと。
- ^ “台湾の青春「球は霊なり」”. 朝日新聞.(2007年8月15日)
- ^ 『甲子園・高校野球人名辞典』 東京堂出版、2004年。森岡浩 編
- 1 近藤兵太郎とは
- 2 近藤兵太郎の概要
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