囚人の人種ヒエラルキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:13 UTC 版)
「強制収容所 (ナチス)」の記事における「囚人の人種ヒエラルキー」の解説
開戦後には強制収容所に様々な国籍の者が収容されるようになった。ダッハウ強制収容所やブーヘンヴァルト強制収容所の囚人の国籍は32カ国以上に及んだという。収容所が多国籍化すると人種ヒエラルキーが生まれた。直接的には親衛隊の人種差別意識が作り出したものであるが、囚人間の差別意識に支えられたものでもあった。 ナチス強制収容所の人種ヒエラルキーの最下層は、絶滅対象のユダヤ人とジプシーを別にすれば、ポーランド人、チェコ人、ロシア人などスラブ民族であった。スラブ民族はナチスの言う「劣等人種」(en)の典型であった。スラブ人の中でもとりわけソビエト連邦に属する者は劣悪に扱われた。 ついでイタリア人などラテン民族が低く扱われた。フランス人の地位も低かった。一方でオランダ人、ベルギー人、ノルウェー人、デンマーク人などゲルマン民族はたとえ反ナチ主義者であってもかなり寛大に扱われた。そしてゲルマン民族の中でも頂点の位置するのは、もちろん「支配人種」(en)たるドイツ人である。ドイツ人囚人はドイツ人であるというだけで「収容所の貴族」であるようなものだった。ドイツ人囚人には楽な労働、豊富な食料、特権的地位、ゆったりとした居住が与えられた。戦争末期にはウクライナ人などスラブ民族だらけになってしまった監視兵よりもドイツ人囚人の方が優遇されていたといわれる。親ナチ派の「下等人種」より反ナチ派の「支配人種」の方が優先されたわけである。
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