わがはいはねこである【吾輩は猫である】
吾輩は猫である
作者夏目漱石
収載図書ちくま日本文学全集 023 夏目漱石
出版社筑摩書房
刊行年月1992.1
収載図書不気味な話 2 夏目漱石
出版社河出書房新社
刊行年月1995.4
シリーズ名河出文庫
収載図書ザ・漱石―全小説全一冊 増補新版
出版社第三書館
刊行年月1999.6
収載図書光村ライブラリー・中学校編 第1巻 赤い実 ほか
出版社光村図書出版
刊行年月2005.11
収載図書大活字版 ザ・漱石―全小説全二冊 下巻
出版社第三書館
刊行年月2006.4
収載図書朗読「文学のしずく」 第1巻
出版社中経出版
刊行年月2007.9
シリーズ名楽書ブックス
吾輩は猫である
吾輩は猫である
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 00:56 UTC 版)
『吾輩は猫である』(わがはいはねこである)は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』にて発表されたのだが、好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで継続した。上、1906年10月刊、中、1906年11月刊、下、1907年5月刊。
注釈
- ^ 『吾輩は猫である』の内容が『牡猫ムルの人生観』に影響を受けているかについては、影響を受けているとする藤代素人、秋山六郎兵衛、板垣直子らの論と、着想を得たのみで内容にまでは影響を受けていないとする吉田六郎、石丸静雄らの論とが混在する。漱石自身は影響を受けていないと述べている。
- ^ 丸谷才一が仙台文学館の初代館長になった井上ひさしに電話をかけ、19世紀初頭によく読まれた『ポピー・ザ・リトル』という俗小説が、子犬が上流から下流階級まですべてを見て回りその見聞を猛烈な社会批判にしているという内容で、漱石がこれを知って『吾輩』を書いたと考えられると言った。すると東北大学の漱石文庫にはないが、これを評価したTHE ENGLISH NOVEL(Walter Raleigh)があるので、何らかの印がないか学芸員に見てきてもらえないかとひさしは依頼した。翌日、学芸員が確認すると、『ポピー・ザ・リトル』の項に、はっきりと線が引かれていた(笹沢信『ひさし伝』新潮社 2012年 pp.390f.)。
- ^ 第1回、第2回の連載号は完売し、夏目の「坊つちやん」と同時掲載となった第10回掲載号は5,500部を発行するに至る。これは総合雑誌「中央公論」と同程度であった。
- ^ Samuel Haughton "On Hanging Considered from a Mechanical and Physiological Point of View" (The Internet Archive) 寺田寅彦 『夏目先生の追憶』に紹介の経緯が書かれている。寺田は「レヴェレンド(Reverend、日本語の「師」にあたる聖職者の尊称)・ハウトン」としているが、正確には、サミュエル・ホートンen:Samuel Haughtonである。 論文の概要については、寅彦の弟子である中谷宇吉郎の 『寒月の「首縊りの力学」その他』を参照。
出典
- ^ “50 【我が輩は盗作である】『我が輩は猫である』をはじめて読んだ”. 猫哲学. 2016年6月3日閲覧。
- ^ 伊藤整は新潮文庫版『吾輩は猫である』の解説において、「しかしこういう筋の発展のない小説を十一回にもわたって漱石が確信をもって書いたということは、彼が『トリストラム・シャンディーの生涯と意見』のような小説があることを知っていたことから来ていることは明らかである。」と記した(p.609、2004)。
- ^ 丸谷才一『思考のレッスン』文春文庫、p.203、2012。
- ^ a b c d e 『週刊YEARBOOK 日録20世紀』第85号 講談社、1998年、27-29頁
- ^ “神田お散歩MAP 夏目漱石の碑”. 株式会社ライト. 2017年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月23日閲覧。
- ^ 坂本宮尾「この道をかくゆく ―近代女性俳人伝 (2)」俳壇36巻2号135頁
- ^ “名前はないが日本一有名な「吾輩(わがはい)」のモデルだった“”(「春秋」日本経済新聞2014年9月13日)。
- ^ “漱石文庫関係文献目録” (PDF). 東北大学附属図書館. 2012年11月25日閲覧。
- ^ 決定版 三島由紀夫全集〈補巻〉補遺・索引. 新潮社. (2005年12月isbn=978-4106425837)pp.19-20
- ^ “三島由紀夫文学館**新資料紹介”. 三島由紀夫文学館. 2009年2月26日閲覧。
- ^ TBS公式サイト、吾輩は主婦である
- ^ 東京芸術祭2019「吾輩は猫であるについて」
- ^ 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、220頁。ISBN 4062122227
- ^ “吾輩は猫である - メディア芸術データベース”. mediaarts-db.bunka.go.jp. 2022年12月17日閲覧。
- ^ 三四郎 (1920). それからの漱石の猫. 東京: 日本書院
- ^ 三四郎 (1997). 續吾輩は猫である. 東京: 勉誠社
- ^ 『続吾輩は猫である 復刻』 。
- 1 吾輩は猫であるとは
- 2 吾輩は猫であるの概要
- 3 素材
- 4 書誌情報
- 5 派生作品、影響を受けた作品
- 6 関連作品
吾輩は猫である(わがはいはねこである)
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「文豪ストレイドッグス」の記事における「吾輩は猫である(わがはいはねこである)」の解説
太宰曰く「万物を見抜く最強の異能」。詳細は不明だが、死闘中の福沢と鴎外の前に現れた時には春野のペットである「ミィちゃん」と酷似する猫の姿から元の姿に変身している。
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