吾輩は猫である
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素材
主人公「吾輩」のモデルは、漱石37歳の年に夏目家に迷い込んで住み着いた、野良の黒猫である[1]。1908年9月13日に猫が死亡した際、漱石は親しい人達に猫の死亡通知を出した[1]。また、猫の墓を立て、書斎裏の桜の樹の下に埋めた。小さな墓標の裏に「この下に稲妻起る宵あらん」と安らかに眠ることを願った一句を添えた後、猫が亡くなる直前の様子を「猫の墓」(『永日小品』所収)という随筆に書き記している。毎年9月13日は「猫の命日」である[13]。
『猫』が執筆された当時の漱石邸は東京市本郷区駒込千駄木町(現・文京区向丘2丁目)にあった。この家は愛知県の野外博物館・明治村に移築されていて公開されている。東京都新宿区早稲田南町の漱石山房記念館(漱石山房跡地)には「猫塚」があるが、戦災で焼損し戦後その残欠から復元したものだという。
最終回で、迷亭が苦沙弥らに「詐欺師の小説」を披露するが、これはロバート・バーの『放心家組合』のことである。この事実は、大蔵省の機関誌『ファイナンス』1966年4月号において、林修三によって初めて指摘された[14]。同様の指摘は、1971年2月号の文藝春秋誌上で山田風太郎によっても行われている。
古典落語のパロディが幾つか見られる。例をあげると、窃盗犯に入れられた次の朝、苦沙弥夫婦が警官に盗まれた物を聞かれる件(第五話)は『花色木綿(出来心)』の、寒月がバイオリンを買いに行く道筋を言いたてるのは『黄金餅』の、パロディである。迷亭が洋食屋を困らせる話にはちゃんと「落ち」までつけ一席の落語としている。漱石は三代目柳家小さんなどの落語を愛好したが、『猫』は落語の影響が最も強く見られる作品である[要出典]。
第三話にて寒月が講演の練習をする「首縊りの力学」は、漱石の弟子で物理学者・随筆家の寺田寅彦が提供した実在の論文、Samuel Haughton "On Hanging ; Considered from a Mechanical and Physiological Point of View" が基になっている[注 4]。
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千駄木にあった旧漱石邸(愛知県・明治村に移築保存)
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同左
注釈
- ^ 第1回、第2回の連載号は完売し、夏目の「坊つちやん」と同時掲載となった第10回掲載号は5,500部を発行するに至る。これは総合雑誌「中央公論」と同程度であった。
- ^ 『吾輩は猫である』の内容が『牡猫ムルの人生観』に影響を受けているかについては、影響を受けているとする藤代素人、秋山六郎兵衛、板垣直子らの論と、着想を得たのみで内容にまでは影響を受けていないとする吉田六郎、石丸静雄らの論とが混在する。
- ^ 丸谷才一が仙台文学館の初代館長になった井上ひさしに電話をかけ、19世紀初頭によく読まれた『ポピー・ザ・リトル』という俗小説が、子犬が上流から下流階級まですべてを見て回りその見聞を猛烈な社会批判にしているという内容で、漱石がこれを知って『吾輩』を書いたと考えられると言った。すると東北大学の漱石文庫にはないが、これを評価したTHE ENGLISH NOVEL(Walter Raleigh)があるので、何らかの印がないか学芸員に見てきてもらえないかとひさしは依頼した。翌日、学芸員が確認すると、『ポピー・ザ・リトル』の項に、はっきりと線が引かれていた(笹沢信『ひさし伝』新潮社 2012年 pp.390f.)。
- ^ Samuel Haughton "On Hanging Considered from a Mechanical and Physiological Point of View" (The Internet Archive) 寺田寅彦 『夏目先生の追憶』に紹介の経緯が書かれている。寺田は「レヴェレンド(Reverend、日本語の「師」にあたる聖職者の尊称)・ハウトン」としているが、正確には、サミュエル・ホートンen:Samuel Haughtonである。 論文の概要については、寅彦の弟子である中谷宇吉郎の 『寒月の「首縊りの力学」その他』を参照。
出典
- ^ a b c d e 『週刊YEARBOOK 日録20世紀』第85号 講談社、1998年、27-29頁
- ^ 集英社文庫「吾輩は猫である」下、石崎等・解説、P.291。
- ^ 集英社文庫「吾輩は猫である」下、解説、P.P.287-288。
- ^ 伊藤整は新潮文庫版『吾輩は猫である』の解説において、「しかしこういう筋の発展のない小説を十一回にもわたって漱石が確信をもって書いたということは、彼が『トリストラム・シャンディーの生涯と意見』のような小説があることを知っていたことから来ていることは明らかである。」と記した(p.609、2004)。
- ^ 丸谷才一『思考のレッスン』文春文庫、p.203、2012。
- ^ “神田お散歩MAP 夏目漱石の碑”. 株式会社ライト. 2017年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月23日閲覧。
- ^ 江川義雄「廣島縣醫人傳 第1集」(一般社団法人広島県医師会、1986)[1]
- ^ 「尼子四郎と夏目漱石」(医学中央雑誌刊行会)[2]
- ^ 「医学情報 110年の蓄積」日本経済新聞、2013年6月21日44面
- ^ 本作では猫とともに人物として唯一名前は表現されていない。
- ^ 坂本宮尾「この道をかくゆく ―近代女性俳人伝 (2)」俳壇36巻2号135頁
- ^ 集英社文庫「吾輩は猫である」下、解説・石崎等、P.294
- ^ “名前はないが日本一有名な「吾輩(わがはい)」のモデルだった“”(「春秋」日本経済新聞2014年9月13日)。
- ^ “漱石文庫関係文献目録” (PDF). 東北大学附属図書館. 2012年11月25日閲覧。
- ^ 決定版 三島由紀夫全集〈補巻〉補遺・索引. 新潮社. (2005年12月isbn=978-4106425837)pp.19-20
- ^ “三島由紀夫文学館**新資料紹介”. 三島由紀夫文学館. 2009年2月26日閲覧。
- ^ TBS公式サイト、吾輩は主婦である
- ^ 東京芸術祭2019「吾輩は猫であるについて」
- ^ 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、220頁。ISBN 4062122227
- ^ “吾輩は猫である - メディア芸術データベース”. mediaarts-db.bunka.go.jp. 2022年12月17日閲覧。
- ^ 三四郎 (1920). それからの漱石の猫. 東京: 日本書院
- ^ 三四郎 (1997). 續吾輩は猫である. 東京: 勉誠社
- ^ 『続吾輩は猫である 復刻』 。
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