否定された楽章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/22 15:22 UTC 版)
木管楽器のためのディヴェルティメント 変ロ長調 K. 186/159bの自筆譜4ページの裏面に、弦楽合奏と2つのオーボエ、2つのホルンのための16小節の楽譜が取り消し線で消された形で残されている。アルフレート・アインシュタインはケッヘル目録の改訂版において、この変ホ長調のアンダンテは遥か以前にかかれた交響曲、おそらく(当時はまだ未発見だった)K. 16aのものではないかと考えた。ケッヘル目録第6版は大筋でこれを引き継ぎつつ、両曲の関係は不確かなままであると含みを持たせた表現に修正している。 ヴォルフガング・プラートはディヴェルティメントの作曲年を1772年とする一方、筆跡より16小節を1765年から1766年のものとした、また、彼は調性を嬰ト短調に改め、モーツァルトが紙に書かれたこの楽想をディヴェルティメント中のメヌエットとトリオの最終稿に再利用したのだと考えた。フランツ・ギーグリングはこの断章を書き改め、自らが編集した『新モーツァルト全集』(1987年)の木管ディヴェルティメントの巻へクリティカル・レポートとして掲載した。この時までに交響曲 K. 16aは発見されており、アインシュタインが唱えた関連性は否定されていた。この「管弦楽用草稿」を出版したニールス・ザスローは草稿内に一貫性を欠いた部分や誤りがあるとした。さらにモーツァルトが嬰ト短調とロ長調の楽曲を聴いていたという仮定に基づいて復元作業が行われているが、モーツァルトはその時点でダブルシャープのような必要となる音楽記号を学んでいなかったため正しく記譜することはできなかったとザスローは述べている。
※この「否定された楽章」の解説は、「交響曲K.16a」の解説の一部です。
「否定された楽章」を含む「交響曲K.16a」の記事については、「交響曲K.16a」の概要を参照ください。
- 否定された楽章のページへのリンク