きみさわ‐がた〔きみさは‐〕【君沢形/君沢型】
君沢形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/01 09:22 UTC 版)
君沢形(きみさわがた、くんたくがた[1])は、幕末に日本の君沢郡戸田村などで建造された西洋式帆船の型式。原型は、下田沖で難破したロシア船員帰国用に戸田村で建造された「ヘダ号」で、同型船10隻を日本で使用するために量産した。帆装形式はスクーナーに分類される。ヘダ号の名は戸田村に由来し、君沢形の名前は戸田村が属した君沢郡に由来する。ヘダ号及び君沢形の建造は、日本人にとって、洋式船の建造技術を実地で習得する重要な機会となった。なお、「君沢形」の名は、同型船に限らずスクーナー全般をさす一般名詞としても用いられることがある[2]。
- ^ a b 石井.安達(2002), p. 107, 安達裕之執筆
- ^ 「君沢形」『大辞林』第二版、三省堂、1995年。
- ^ a b c 奈木(2005), p. 366
- ^ 奈木(2005), p. 372.
- ^ a b c 富士市立博物館, 第四章 ヘダ号の建造 3-4
- ^ 船の科学館(2003年)、「ヘダ号と君沢形スクーナー」
- ^ a b 浅川道夫 2009, p. 174.
- ^ 石井謙治 1984.
- ^ 奈木(2005), p. 333.
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- ^ 富士市立博物館, 第六章 広がる日露友好.
- ^ a b c d 奈木(2005), p. 420-422
- ^ 浅川道夫 2009, p. 176.
- ^ 杉山謙二郎 2002, p. 6.
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- ^ 杉山謙二郎 1995, p. 95.
- ^ 杉山謙二郎 1995, p. 98.
- ^ 奈木(2005), p. 377-378.
- ^ 九州・山口の近代化産業遺産群 / 恵美須ヶ鼻造船所跡(2010年8月14日閲覧)
- ^ 奈木(2005), p. 550-55.
- ^ 船の科学館(2003年)、「わが国造船技術の成果“千代田形”」
- ^ 石井.安達(2002), p. 112-115, 安達裕之執筆.
君沢形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 02:47 UTC 版)
詳細は「君沢形」を参照 1855年(安政2年)、開国の目的で来日したロシアのエフィム・プチャーチン一行の喪失した乗艦「ディアナ号」の代りに「ヘダ(戸田)号」(75トン)がロシア人船員(帆船乗員は航海中の船体損傷修理のため造船技術も全般に習得している)に加えて、日本人船大工を交えて幕府により建造された。その後、幕府は戸田村で6隻、石川島で4隻のスクーナーを建造した。この船型を建造地が「伊豆君沢郡戸田村」であったことから「君沢形」と名付けた。ちなみに戸田号建造からスクーナー建造までの現場責任者は江川英龍で、(当時江川に弟子入りしていた)桂小五郎は江川の許可の下地元長州から船大工を現場に招き、長州に君沢型の建造技術を伝えている(後に桂はこの件で長州藩から表彰されている)。その後、同型ではなくともスクーナー一般に対する呼称として、君沢形の名が使われることがあった。
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君沢形(1855年-1856年、日本、スクーナー)
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「帆船」の記事における「君沢形(1855年-1856年、日本、スクーナー)」の解説
沈没したロシアの帆船ディアナの代船として建造されたヘダ号をはじめとする11隻の帆船。日本で初めて量産された洋式帆船となった。
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