合併して東宝へ
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1937年(昭和12年)8月26日、同社とその子会社の「ピー・シー・エル映画製作所」、京都の大沢商会の設立したトーキー専門の映画スタジオである「ゼーオー・スタヂオ」、阪急資本が設立した映画配給会社「東宝映画配給」の4社が合併し、「東宝映画」を設立する。旧ゼーオー・スタヂオは「東宝映画京都撮影所」、旧ピー・シー・エル映画製作所および旧写真化学研究所が同東京撮影所となった。当初は京都が時代劇、東京が現代劇と分担されていたが、東京の施設を大幅に拡充、時代劇も製作できるようになり、「東宝映画京都撮影所」は1941年(昭和16年)に閉鎖された。また、1943年(昭和18年)、「東宝映画」は、おなじ阪急資本傘下の演劇と興行の企業「東京宝塚劇場」と合併し、現在の東宝となった。 戦後、1951年(昭和26年)3月16日、同社を設立した増谷麟と植村泰二とが、再度、同名の「株式会社写真化学研究所」を設立した。1970年(昭和45年)、かつての同社社員であった井深が築いたソニーの傘下に入り、称号を「ソニーPCL株式会社」と変更し、こちらも現在に至っている。
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