各地域における特色性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 01:08 UTC 版)
ザドルガ自体はバルカン半島の山がちな地形や異民族の侵入から身を守る必要性の中、結束を高めるために生まれた組織とする考え方もあり、その組織の細部については地域において違いが見られる。 モズリーによるとボスニア中部においてはクロアチア人、セルビア人、イスラム教徒の各ザドルガが一つの谷に同居していたが、それぞれ独特の呼び方、挨拶、宗教的慣習の違いなどが見られるが基本的な部分でも違いは見られない。そのため、ザドルガの様式は宗教や民族という枠が持ち込まれる以前から存在した組織であるとしている。 さらにモズリーは、ザドルカはオスマン帝国の支配を受けてそれに抵抗を行なった地域、(ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア西部、マケドニア北部・中部、アルバニア中部)、比較的豊かであった地域(クロアチア、スラヴォニア、1912年、トルコと戦う前のセルビア、ブルガリア西部・中部、マケドニア南部、アルバニア南部)、氏族制が中心であった山岳地域(1912年以前のモンテネグロ、アルバニア北部)に分けられるとしており、以下の例はオスマン帝国の支配を受けたヘルツェゴビナ地域、比較的豊かであったクロアチア地域、氏族制が中心であり山岳地帯であったマケドニア地域のそれぞれの特色について記述する。
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