各兵科(憲兵科を除く)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 00:11 UTC 版)
「陸軍少尉候補者」の記事における「各兵科(憲兵科を除く)」の解説
1920年12月に第1期少尉候補者学生208名が陸軍士官学校へ入校し、翌1921年(大正10年)11月、205名が卒業した。陸軍士官学校での学生教育は学科と術科からなり、昭和期の一例では学科は戦術・戦史・軍制・兵器・射撃・築城・地形・交通(通信を含む)航空などを学び、術科は教練・陣中勤務・射撃・野営・剣術・体操・馬術・馬事などを行い、将校として必要な学識・技術を習得した。 1937年(昭和12年)10月、陸軍士官学校は神奈川県高座郡座間村に移転し、跡地には同年8月に新設されていた陸軍予科士官学校が残った。以後、兵科の少尉候補者(砲兵科、工兵科の技術従事者と、航空兵科、憲兵科を除く)は陸軍予科士官学校で学生として教育を受けることになる。学生の居住はそれまでと同じく校外とされた。 1940年(昭和15年)10月、陸軍士官学校令改正(勅令第689号)ならびに陸軍予科士官学校令改正(勅令第690号)により、1937年から陸軍予科士官学校で学生教育を受けると定められていた該当兵科の少尉候補者は、再び陸軍士官学校での学生教育に改められた。同年12月に第21期が座間の同校に入校、これによって1920年の制度制定以来「市谷台」で行われてきた少尉候補者学生教育は終了した。 同じ1940年12月、陸軍士官学校に予備役から現役に転役する教育を受ける特別志願将校学生が入校し学生教育を受けるようになり、学校内には少尉候補者と合わせ二種類の異なる教育を受ける学生が存在することとなった。このため1941年(昭和16年)、陸軍士官学校においては少尉候補者学生を己種学生(きしゅがくせい)、特別志願将校学生を丁種学生として教育内容の異なる両学生を区別した。 1944年(昭和19年)7月、戦況の悪化により「少尉候補者及特別志願将校の教育停止期間短縮等に関する件通達」(陸密第2837号)で、前年12月に陸軍士官学校へ入校した己種学生は修学期間を約3か月短縮され、1944年12月に入校予定の己種学生は採用中止となった。同年同月施行の陸軍補充令改正(勅令第456号)によって少尉候補者は「各当該学校其ノ他ノ部隊ニ分遣シ教育ヲ受ケシム」と改められ、部隊での教育に切り替わっていった。
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