史上24人目の平幕優勝者とは? わかりやすく解説

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史上24人目の平幕優勝者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:41 UTC 版)

水戸泉政人」の記事における「史上24人目の平幕優勝者」の解説

続く1992年7月場所西前筆頭下がった水戸泉は、場所前のヨーロッパ遠征腰痛により休場したことで、ハードスケジュール時差ボケ苦しんで調整不足のまま場所を迎えたほとんどの力士異なり好調の状態で土俵上がった。場所前に新大関の曙が稽古中に左足小指痛めて全休したのもチャンスであった幕内昇進後初日から自身初の7連勝快進撃白星をどんどん積み重ねていく。中日小結貴花田当時、のち貴乃花)に初黒星10日目大関霧島敗れ2敗はしたものの、それ以降優勝争い単独首位走っていた。場所中、好成績目当てとした意図的なヨーロッパ巡業への不参加ではないかという批判集中した本人は「ホントは、オレだってヨーロッパ行きたかったんだ」と本当に怪我影響巡業全休したのだと強調終盤戦13日目の関脇琴錦戦では立合い頭突き一発突き落とし14日目には前頭12目の貴ノ浪にも上手投げ勝って12勝2敗とした。その貴ノ浪との相撲では、若さ任せた相手寄りギリギリ残し、さらに左外掛けにくる貴ノ浪吊り上げるような上手投げ逆転その後10勝3敗と1差で追っていた小結武蔵丸大関小錦霧島の3力士全員負けてその瞬間水戸泉初めての平幕優勝決まった水戸泉支度部屋で、14日目で優勝が決まる可能性があったため待機はしていたが、まさかその3敗陣の3人が総崩れとは自身全く想像もしなかったため、3敗勢最後1人である霧島負けた瞬間には思わず「ウソーっ!?」と驚いた後、弟の梅の里二人して抱き合って涙ぐんだ。その嬉し泣きぶりは当時を知る記者感覚では、それまで見たことが無いような派手な嬉し泣きであったという。奇しくも当時高砂親方である富士錦現役時代1964年平幕優勝した時と同じ名古屋土俵だった。千秋楽勝って13勝2敗の成績収めた。なお平優勝者は、1909年優勝制度確立して以降水戸泉史上24人目であるが、前年1991年7月場所に琴富士同年9月場所琴錦、同1992年1月場所には貴花田と、わずか1年の間に4人もの平幕優勝者が出るという非常に珍しい出来事となった優勝パレードでは当時大関で、優勝争った小錦優勝旗旗手務めた大関力士下位力士優勝旗手をつとめることは珍しく小錦一部から「天下大関が、平幕力士旗手をするとは何事か」と批判浴びたという。しかし高砂部屋入門時から小錦にとって水戸泉は共に下積み生活を送った間柄でよき相談相手兄貴分でもあり、また入門時から長く稽古相手をしていた仲でもあった。小錦は「僕の3回優勝の他、先場所(1992年5月場所)では曙の旗手までさせてしまった。水戸関は僕の恩人だから、誰がなんと言おうと僕が旗を持つ」「これまでオレ優勝した3回とも水戸関が旗手をやってくれた。これはホンお返しさ」と小錦が「恩返しの意味自分から願い出たことだった、という。小錦は4敗を喫した際、水戸泉優勝確信したとも取れるような表情花道浮かべていた。

※この「史上24人目の平幕優勝者」の解説は、「水戸泉政人」の解説の一部です。
「史上24人目の平幕優勝者」を含む「水戸泉政人」の記事については、「水戸泉政人」の概要を参照ください。

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