古典に登場する子持山とは? わかりやすく解説

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古典に登場する子持山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 06:22 UTC 版)

子持山」の記事における「古典に登場する子持山」の解説

.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}児毛知山(こもちやま若鶏冠木わかかへるで)の 黄葉(もみ)つまで 寝もと吾(わ)は思(も)ふ 汝(な)はあどか思(も)ふ 詠み人知らず『万葉集』3494(14巻東歌大意子持山の春の若いカエデ秋になって紅葉するまでずっとあなたを抱いていたい。あなたはどうか。 一般に奈良時代『万葉集』掲載されたこの東歌(巻14、3494)は、上野国群馬県の子持山のことを詠んだものとされてきた。 ただし、平安時代末期の『五代集歌枕』や『和歌色葉』(1198年頃)といった歌学書では、この和歌主題がどこの土地のものであるかは言及していない。また、同時期の藤原清輔による『奥義抄』ではこの歌を陸奥国詠まれたものとして解説している。 こもち山 谷懐に おひたてて ききのはぐくむ 花をこそみれ 伝源俊頼作、『夫木和歌抄』(延慶3年 (1310) 年頃成立鎌倉時代後期の『夫木和歌抄掲載のこの和歌子持山詠んだものとされている。 子持山 紅葉をわけて 入る月は 錦につつむ 鎖とぞ知るまたは子持山 紅葉をわけて 入る月は 錦をつつむ 鏡なりけり 円珠尼(? - 1582年円珠尼室町時代後期川田城沼田市)の城主川田光清の娘で、小柳姫といった。沼田城城主夫人侍女となり長野業正家臣陶田弥兵衛嫁ぐも、まもなく離別した18歳のときに詠んだこの歌が正親町天皇在位1557年 - 1586年)に見出され正親町天皇は「上野沼田の里に 円なる 珠のありとは 誰か知らまし」と御製詠んだという。これにより小柳は「円珠」と名を改めた円珠尼はのちに厩橋城城主となった滝川一益和歌の師となったという。この「円珠尼」の和歌刻まれ石碑登山口にある。 このほか子持山詠んだ和歌として次のようなものがあり、山中歌碑設けられている。 子持山 谷懐露(ふところ)に生いたてて 木々葉子くむ 花をこそみれ 姉小路済継1470年 - 1518年子持山 かえでの宮に祈らくは わが恋のさち わが歌のさち 雲わた天のまほらに 獅子岩大口あきて たけり立ちたり 須藤泰一郎(1889年 - 1933年子持山 若葉のときに 我はきて をぞ集む 手に餘るまで 土屋文明1890年 - 1990年

※この「古典に登場する子持山」の解説は、「子持山」の解説の一部です。
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