原典と着想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 01:39 UTC 版)
カール・ラーションは、彼が鉄器時代のフィブラの装飾を複写したことがある、デンマーク国立博物館を訪ねるためにコペンハーゲンに行った。また、カール・ラーションに非常に影響を与えた文学的な情報源は、ブレーメンのアダムとスノッリ・ストゥルルソンであった。ブレーメンのアダムは、ウプサラの神殿についての文献を残している。 この神殿はまるで黄金から造られており、人々は3体の神の像を崇拝している。それらの像は、トールが最も強力であるために3体の真ん中に彼の王座があるように配置されている。彼の両側に、オーディン(Othin)とフレイの像が座っている。(中略)その神殿の近くに、冬も夏も常に緑なす枝を広げたとても大きな木がある。その木の種類が何かを知っている人はいない。また、そこには泉があり、古来の宗教を信仰する人々が、犠牲を執り行い生きたままの人間を沈める習慣になっている。沈めた人間の体が浮かんでこない間、人々の祈願は成就されるのである。 また、アイスランド人のスノッリが書いた『ユングリング家のサガ』には、この絵の題材となった物語が収録されている。 スウェーデン王家(ユングリング家)の王、ドーマルディ(Domalde)の治世のこと、スウェーデンはひどい飢饉に襲われた。人々は豊作を願って大供犠祭を行ない、最初の秋には生贄として牛を、次の秋には人間を捧げたが、収穫はなお悪くなった。三度目の秋、供犠祭の準備の前に、人々は大挙してガムラ・ウプサラに集まり、この飢饉の原因は王ドーマルディにあるとして王を殺した。彼を「血祭りに上げ」(blóta)、神の祭壇をその血で赤く染めれば、その犠牲が自分達に実り多き季節を呼び込んでくれると考えたのだ。王の息子ドーマッル(Domar)が国を治めるようになると平和で豊かな季節が長く続いたという。
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