原作『対馬丸』とは? わかりやすく解説

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原作『対馬丸』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 14:23 UTC 版)

対馬丸 —さようなら沖繩—」の記事における「原作『対馬丸』」の解説

映画は、大城立裕嘉陽安男・船越義彰共著ノンフィクション対馬丸』を原作としている。本作品は対馬丸遭難者遺族会委嘱よるもので、ほぼ全編生存者からの聞き書きにより執筆された。1961年昭和36年)に『悪石島――疎開船学童死のドキュメント』として文林書房から出版され1975年昭和45年)には『悪石島――学童疎開対馬丸悲劇』としておりじん書房から再刊されたが、いずれもすぐに絶版となり極めて部数読まれたのみであったという。宇田川インタビューで「先生聞く最初三千で、次に五千刷ったらしいのですが、出版社がすぐつぶれてどちらも印税を貰わなかったという話です(笑い)。こんど理論社から出したのはその復刻版なんですが(中略)こんどはじめて印税がはいるってよろこんでおられました」と述べている。 映画公開され1982年昭和57年)に全面的に改稿、『対馬丸』と改題されて理論社より出版され、現在に至っている。大城らは連名あとがきで、「たんに少年少女漂流記だけを書いていたのでは、冒険談に堕しかねない。(中略)親や教師や子の立場境遇や、心情、そして国の姿勢克明に描いてこそ、事件歴史的構造的な意味を明らかにし、何かを問うことができる。私たち初版においても、対馬丸事件歴史的全貌について、できるだけ感傷排して事実伝えることにつとめた」と記している。 大城は本映画製作に際して深く関わり宇田川大城について「一度質問をしたり、草稿ができてコピーお送りしますと、かならず懇切丁寧答え意見送ってくださるんですね」と回顧している。大城からの唯一の注文はやはり「感傷的に描いてくれるな」というものであったという。

※この「原作『対馬丸』」の解説は、「対馬丸 —さようなら沖繩—」の解説の一部です。
「原作『対馬丸』」を含む「対馬丸 —さようなら沖繩—」の記事については、「対馬丸 —さようなら沖繩—」の概要を参照ください。

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