北墳とは? わかりやすく解説

北墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 21:36 UTC 版)

宇治二子山古墳」の記事における「北墳」の解説

北墳は、丘陵頂部北端築造された古墳である。形状円墳直径40メートル、高さ4.3メートル測る墳丘表面では円筒埴輪列・葺石検出されている。 主体部埋蔵施設は3基からなりそれぞれ東槨」・「中央」・「西槨」と称されいずれも墳頂部形成されている。内容次の通り東槨古墳中央部位置し主軸概ね南北方向頭位不明)。埋葬施設3基のうちでは最も早い埋葬(初葬)になる。南北8.5メートル東西6.2メートル大型墓壙の東側築かれており、当初東槨とは別にもう1基の埋葬予定して大型墓壙が築かれていたことを知る。東槨自体盗掘受けており、大部分破壊されている。 形式粘土槨全長5.6メートル・幅0.6メートル程度割竹形木棺粘土で完全に覆ったもので、内には赤色顔料塗られる発掘調査では、盗掘免れた副葬品として農工具類等が検出されている(出土品内容は「文化財」節を参照:以下同様)中央東槨西側位置し主軸概ね南北方向頭位不明)。埋葬施設3基のうちでは東槨に次ぐ埋葬になる。上述東槨および大型墓壙を一旦埋め戻したのち、改め東槨西側築かれている。盗掘受けており、大部分破壊されている。 形式割竹形木棺全長5.5メートル程度か)の直葬内には赤色顔料塗られる発掘調査では、内外から盗掘免れた副葬品多数検出されている。 西槨墳頂の中央部から外れた西端形成され主軸概ね南北方向頭位は北)。埋葬施設3基のうちでは最も遅く中央に次ぐ埋葬になる。東槨中央とは異なり盗掘受けておらず、完全な状態で発見されている。 形式粘土槨全長3.8メートル・幅1.0メートル程度割竹形木棺粘土で完全に覆ったもので、内には赤色顔料塗られる発掘調査では、内外から副葬品多数検出されている。 この北墳(ならびに初葬の東槨)は、古墳時代中期5世紀中頃築造推定される。 北墳墳頂中央陥没孔。

※この「北墳」の解説は、「宇治二子山古墳」の解説の一部です。
「北墳」を含む「宇治二子山古墳」の記事については、「宇治二子山古墳」の概要を参照ください。

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