北伐と国共内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 19:58 UTC 版)
「中華民国 (1912年-1949年)」の記事における「北伐と国共内戦」の解説
国民党は、孫文の指導の下、広州市に国民政府を設立することを何度も試みた。国民党は1923年に3度目の広州占領後、中国を統一するため、広東大元帥府を樹立することに成功した。1924年、国民党はソビエトの支援の要件として、中国共産党と同盟を結ぶことになった(第一次国共合作)。蔣介石は、1925年の孫文の死とその後の権力闘争の後に中国国民党主席に就任し、1926年に北京政府を転覆させるために北伐を開始した。1927年、蔣介石は国民政府を南京に移し、上海クーデターを皮切りに中国共産党を一掃した。この事件は、共産党と国民党の左翼を武装反乱に追い込み、国共内戦の始まりと、汪兆銘の下で武漢国民政府が樹立されたことを示した。しかし、この武漢政府はすぐに共産主義者も一掃し、蔣介石政権と和解した。1928年に国民党の北伐が蔣介石の下で名目上の統一をもたらした後、不満を抱いた武将は反蔣介石連合を結成した。これらの軍閥は、1929年から1930年までの中原大戦で蔣介石とその同盟国と戦い、最終的には軍閥時代の最大の紛争で敗北した。
※この「北伐と国共内戦」の解説は、「中華民国 (1912年-1949年)」の解説の一部です。
「北伐と国共内戦」を含む「中華民国 (1912年-1949年)」の記事については、「中華民国 (1912年-1949年)」の概要を参照ください。
- 北伐と国共内戦のページへのリンク