北ヨーロッパ、北方船(6~15世紀)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:58 UTC 版)
「帆船」の記事における「北ヨーロッパ、北方船(6~15世紀)」の解説
「ロングシップ」および「コグ船」も参照 6世紀の中頃、聖ブレンダンがカラッハ(柳の枝に革を張ったボート)で大西洋を航海したという伝説があるが、鉄具とタールで補強し、取舵オールと帆を装備していたと伝えられる。 625年頃にイースト・アングリアの王レドウォルドを葬ったものと考えられる サクソン人の船葬墓が、1939年にサフォーク州サットン・フーで発見された。クリンカー・ビルド(鎧張り)工法で作られるなど、後のロングシップとの類似点が多く見られる。 8世紀半ばから11世紀の半ばまでの300年間、北ヨーロッパではヴァイキングが勢力を拡大した。ロングシップと呼ばれる深い竜骨と取り外しのできる横帆を取り入れた船首尾同型船でイングランドを襲撃、征服し、地中海やカスピ海、北アメリカにまで至った。いくつかのロングシップが船葬墓として発見されているが、それらはオールの数が15対と少なく戦闘用のロングシップではないと見られる。北欧のサガの記述には多くのオールを装備した船がしばしば見られることから、戦闘用のロングシップは更に武骨で大型だったと考えられている。また、ヴァイキングは貨物用のクナールという帆走ボートを使用していた。クナールはロングシップと比べて喫水が深く、前後は短いが幅が広く、オールは少なくマストは完全に固定されていた。 ヴァイキングの退潮後も、1本マストの船首尾同型船は北ヨーロッパ諸国で使われた。11世紀のノルマン人によるイングランド侵攻を描いたバイユーのタペストリーでは、その建造から出撃の様子を見ることができる。基本的デザインはヴァイキング船と変わらないが、盾の配置や馬の輸送船など騎兵戦術への移行への対応が見て取れる。また、他のロングシップの後裔としてスコットランドのウエスト・ハイランド・ガレーがある。ウエスト・ハイランド・ガレーは舷側舵ではなく船尾舵を持ち、15世紀まで使われた。 12世紀になるとバウスプリットと舵を備えた北方船が出現する。バウスプリットによって風上への帆走が可能になり、船体が傾斜した状態では役に立たない舷側舵は船尾舵へと切り替えられた。13-14世紀にはこの種の大型船はコグ船と呼ばれ、ハンザ同盟の標準船舶となった。北ヨーロッパでは海戦はあまり起きなかったが、コグ船は戦時には船首楼、船尾楼を設け戦闘用に改装される場合があった。時とともに船首楼、船尾楼は大型化、常態化され、居住スペースの拡張として商船にも採用された。 コグ船は基本的にクリンカー・ビルド工法だが、船体上部はカーヴェル・ビルト(平張り)工法で作られた。北ヨーロッパにはもう一種、ハルク船と言われる大型船があり、こちらは完全にクリンカー・ビルド工法で作られた。
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