写真用フィルム
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「17.5mmフィルム」の記事における「写真用フィルム」の解説
詳細は「ミゼットフィルム」および「写真フィルム#ミゼット」を参照 1937年(昭和12年)、日本の美篶商会が同幅のフィルムを写真用に導入、超小型写真機「ミゼット」とともに新規格「ミゼットフィルム」を発表した。同規格は、第二次世界大戦終了(1945年)後しばらくまでの間、日本の超小型写真のスタンダード規格となった。裏紙つき・無孔のロールフィルム、画面サイズ「14×14mm判」の正方形、10枚撮り。
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写真用フィルム
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「9.5mmフィルム」の記事における「写真用フィルム」の解説
「ミノックス」および「写真フィルム#ミノックス」を参照 1936年(昭和11年)、ソビエト連邦併合前のラトビアの首都リガで開発された「ミノックスI型」(Ur - MINOX)には、本サイズのフィルムが採用された。ミノックスフィルムと呼ばれる。写真のサイズは8×11mmである。映画用のパテベビーの画面サイズが6.5×8.5mmに対して、このサイズであるのは、もちろんフィルムを横に使用しているからである。 以来、1998年(平成10年)に発売された現行モデルミノックスCLX型においても、9.5mmフィルムが使用されており、本サイズのフィルムは、ミノックスフィルムとして現在も生き続けている。
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写真用フィルム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 00:47 UTC 版)
杉浦六三郎(のちの6代目杉浦六右衞門)が1873年(明治6年)、東京麹町で薬種問屋小西屋六兵衛店を立ち上げ、写真関係商品や石版印刷材料の販売を開始したことに始まり、のちに小西六写真工業株式会社へと発展し、1903年(明治36年)に国産初の印画紙を発売した。 小西六写真工業は日本の写真用カメラフィルムのトップブランドの1つとして成長し、戦後の国内シェアは、さくらカラー(のち「サクラカラー」に変更)が富士写真フイルム(現:富士フイルムホールディングス)のフジカラーを圧倒する状態が続いた。しかし1970年代に入ると、圧倒的な広告費を投入して知名度を向上させたフジカラーがシェアを逆転した。サクラカラーはその後、コニカカラー、コニカミノルタカラーフィルムを経て事業撤退するまでの間、ついに首位の座を奪いかえすことはできなかった。 1987年に日本以外で使用していたブランド名「コニカ」に国内でも統一し、社名もコニカに変更。フィルムの商標もサクラカラーからコニカカラーに変更した。この際にコーポレートカラーを赤色(朱色)から青色(コニカブルー)に変更している。 2006年、写真フィルム・レンズ付きフィルム・感材(印画紙・薬品)を含めたDPE分野の事業を大日本印刷(DNP)に譲渡して撤退し、コニカブランドのフィルムは事実上消滅した。その後2009年にDNPも生産を打ち切ったため、完全にフィルム製造およびフィルム販売事業から撤退した。
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