八郎太郎の旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:37 UTC 版)
十和田湖を追われた八郎太郎は、鹿角で男神山と女神山の間をぬうように流れる米代川をせき止め鹿角を水没させ自らのすみかを作ろうとしようと、八郎太郎は近くの茂谷山をひもを使って動かそうとした。鹿角の42柱の神々はこれを知って驚き、大湯の西に集まって評定した。大湯環状列石の北西にある集宮(あつみや)神社はこのときに神々が集まった場所とされる。神々は八郎太郎に石のつぶてをぶつけることに決め、石を切り出すために花輪福士(臥牛)の日向屋敷にいた12人の鍛冶に金槌、ツルハシ、鏨などを沢山作らせ、牛に集宮まで運ばせた。途中あまり重たいので血を吐いて死ぬ牛がおり、そこは乳牛(チウシ)と現在呼ばれている。これに気づいた八郎太郎は、すみかをつくることをあきらめて茂谷山の中腹にかけた綱をほどいたが、その跡は現在も段になって残って見えるとされる。 八郎太郎は米代川を通って逃げ、途中七座山近くのネズミ袋で川を堰止め湖を作ろうとした。地元の8柱の神々が相談して一番賢い七座天神に任せることにした。天神と八郎太郎は大石を投げ、力比べをした。八郎太郎が投げた石は米代川の水中に落ちたが、天神が投げた石は対岸の天神の境内のある田まで飛んだ。八郎太郎は天神から天瀬川の方にもっと広い場所があることを聞き移動することを受け入れた。八郎太郎は一旦せき止めた堤防に、天神の使いの白鼠が穴を開けその流れに乗って下流に向かった。その際、白鼠を食べようとする猫を紐でつないでおいた地区が能代市二ツ井町小繋(猫つなぎ)地区である。
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