入鉄炮出女
入鉄炮出女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 07:30 UTC 版)
五料関所の改め(入鉄炮出女)は、武具の検閲は厳しくなく、他方女の通行改めは厳重であった。「武具の検閲はなく、鉄砲についても10挺以上の入鉄炮に老中証文が必要」であるが、鉄炮運搬には「比較的下級官吏の証文」で認められていた。 「女の通行改めは厳重で」、江戸からの出女は幕府留守居の証文を必要とした。上方から中山道を下り奥州への通過には「上方で所定の証文を取得して福島関所へ持参し、同所で碓氷関所への書替証文をもらい、さらに碓氷関所で五料関所への書替証文を」取得する必要があった。
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入鉄炮出女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 01:44 UTC 版)
本関所の武器類の搬送には、「入り鉄砲」には老中証文を定法とされ、房川渡中田関所最古の鉄砲手形(寛文3年(1663年))が『元禄十年、享保六年迄御関所御諸記』 に記されている。房川渡中田関所における武器類の搬送は、天保8年(1837年)の『文化三寅年同四年卯六月迄、御関所御用書抜』 から鉄砲勘過規定の指示が残されている。房川渡中田関所での鉄砲搬送方法は、老中裏印証文、留守居衆断状、勘定奉行証文、老中の宿継証文、そして持ち主・家来証文による5つの方法があった。
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入鉄炮出女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:22 UTC 版)
「入鉄炮に出女」に象徴される厳重な監視体制が採られた。後に、寛永年間に同じ東海道の今切関所との役割分担が定められ、今切が江戸に入る鉄砲(入鉄炮)を監視し、箱根が江戸から出る女性(出女)を監視する任務を主とするようになった。 箱根関所の特徴は、武具の検問をしないで通行を許可しており、鉄炮手形が無い場合でも通行は差支えないが、手形持参の場合は形式上検問して通行を許可していたという。『御関所御規定心得方書記』によると、「鉄砲手形が無い場合でも通行は差し支えないが、手形持参の場合には、一応形式上でだけ検閲して通行を許可」するものであった。そのため、箱根関所には、差し出された鉄砲手形が残されている。
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