作曲と上演の経緯
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プライソヴァーの原作がブルノで上演されたのは1891年1月10日であった。ヤナーチェクはそれ以前から彼女にオペラの台本を求めていたが、1893年にこの作品のオペラ化を打診した。プライソヴァーはこの題材がオペラ向きでないことを主張したが、ヤナーチェクは作品に固執した。1897年頃に第1幕が完成したが、当時ヤナーチェクは音楽学校の教師の仕事や民謡の研究活動などで多忙をきわめており、作曲は一時中断されることになった。1901年暮れに第2幕の作曲を再開し、翌1902年の夏に完成する。そのまま第3幕の作曲に取りかかるが、1903年2月26日に娘のオルガが病死するという不幸に見舞われる。3週間後の3月18日に第3幕が完成した。 ヤナーチェクはこの作品をプラハで上演することを望んでいたが、当時プラハ国民劇場のオペラ部門の責任者であったカレル・コヴァジョヴィツは、十数年前に自作のオペラをヤナーチェクに酷評された怨みがあり、上演は拒否されてしまう。結局初演は1904年1月21日にブルノの国民劇場でシリル・フラズディラ指揮のもと行われた。初演に先立つ1903年10月、再演前後の1906年から1907年、さらに1911年にそれぞれ作曲者によって改訂が行われている。 作曲家の悲願であったプラハ初演は、作曲家とコヴァジョヴィツの関係が修復された後の1916年5月、コヴァジョヴィツ指揮のもとに実現した。この時ヤナーチェクはコヴァジョヴィツによる作品改訂の要求を許可し、その結果、オーケストレーションの大幅な変更や台詞の一部削除、第3幕最後の二重唱をカノン風にふくらませるといったことが行われた。プラハでの上演が成功したことにより、以後の上演ではコヴァジョヴィツによる改訂版が普及することになるが、近年ではヤナーチェクのオリジナル版にもとづく上演が行われるようになってきている。日本初演は1976年12月1日、東京文化会館で若杉弘指揮の長門美保歌劇団により上演された。
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