作曲と上演の経緯とは? わかりやすく解説

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作曲と上演の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 16:46 UTC 版)

イェヌーファ」の記事における「作曲と上演の経緯」の解説

プライソヴァーの原作ブルノ上演されたのは1891年1月10日であったヤナーチェクそれ以前から彼女にオペラの台本求めていたが、1893年にこの作品オペラ化打診した。プライソヴァーはこの題材オペラ向きでないことを主張したが、ヤナーチェク作品固執した1897年頃に第1幕完成したが、当時ヤナーチェク音楽学校教師仕事民謡研究活動など多忙きわめており、作曲一時中断されることになった1901年暮れ第2幕作曲再開し、翌1902年の夏に完成するそのまま第3幕作曲取りかかるが、1903年2月26日に娘のオルガ病死するという不幸に見舞われる。3週間後の3月18日第3幕完成したヤナーチェクはこの作品プラハ上演することを望んでいたが、当時プラハ国民劇場オペラ部門責任者であったカレル・コヴァジョヴィツは、十数年前自作オペラヤナーチェク酷評され怨みがあり、上演拒否されてしまう。結局初演1904年1月21日ブルノ国民劇場でシリル・フラズディラ指揮のもと行われた初演先立つ1903年10月再演前後1906年から1907年、さらに1911年それぞれ作曲者によって改訂が行われている。 作曲家悲願であったプラハ初演は、作曲家とコヴァジョヴィツの関係が修復された後の1916年5月、コヴァジョヴィツ指揮のもとに実現した。この時ヤナーチェクはコヴァジョヴィツによる作品改訂要求許可しその結果オーケストレーション大幅な変更台詞一部削除第3幕最後二重唱カノン風にふくらませるといったことが行われた。プラハの上演が成功したことにより、以後の上演ではコヴァジョヴィツによる改訂版普及することになるが、近年ではヤナーチェクオリジナル版にもとづく上演が行われるようになってきている。日本初演は1976年12月1日東京文化会館若杉弘指揮長門美保歌劇団により上演された。

※この「作曲と上演の経緯」の解説は、「イェヌーファ」の解説の一部です。
「作曲と上演の経緯」を含む「イェヌーファ」の記事については、「イェヌーファ」の概要を参照ください。

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