伝統的なチベットの見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/21 04:35 UTC 版)
「ケサル王伝」の記事における「伝統的なチベットの見解」の解説
中国社会科学院の少数民族文学研究所に所属する研究員で、ケサルについて研究している中国人学者の李連栄 (Li Lianrong、ツォンドゥ・ギャツォ Brtson-vgrus-rgya-mtsho)は、「長年にわたり、チベットの学者にとってケサルに関する記録は史実と認識されてきた。」と語っている。ここ数世紀、チベットの学者たちの間ではケサルは西暦1027年生まれとの見解が主流であり、この見解は19世紀の歴史家タク・ゴンパ・クンチョク・テンパ・ラプギェBrag dgon pa dkon mchog bstan pa rab rgyasの著書『アムド宗教史Mdo smad chos vbyung』中の考察にも現れている。ほかにケサルが活躍した時代を唐代初期 (7世紀)とする説もある。しかし李は、いまだ多くのチベット学者が叙事詩を信頼に足る歴史的資料であると考えてはいるものの、「そのような見方は変わりつつある。」と述べている。
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