井上少将の起用
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1918年(大正7年)1月、航空関係諸組織の不調和状況を憂慮した陸軍省は航空業務の中核となる人物を求め、元工兵課長で臨時軍用気球研究会委員も経験した井上幾太郎少将を同省の運輸部本部長から交通兵団司令部附へ異動させ、陸軍航空の統制刷新に当たらせた。井上は陸軍省と参謀本部がそれぞれ作成した研究案を踏まえ航空大隊の所見等も加味し、同年3月、「航空兵科の独立」「航空部隊の交通兵団からの分離」「航空部隊を統轄する航空兵団の設立」「臨時軍用気球研究会を廃止し航空学校の設立」「陸軍省航空局の設置および航空機材の管理製造部門の設立」など7項目を骨子とする意見書を陸軍大臣に提出した。 日本の陸軍は軍政(軍事に関する政務)、統帥(軍隊の指揮運用)、教育(軍人の訓練育成)の3つの機能を、軍政は陸軍大臣(陸軍省)、統帥は参謀総長(参謀本部)、教育は教育総監(教育総監部)が分立して担当し、それぞれが天皇に直接隷属していた。しかし航空技術は日進月歩であり、それに鋭敏に作用するためには3機能を一括する機構として天皇直隷の「航空兵団」を設け、航空学校を航空兵団長に隷属させ教育を担当させるとともに、航空学校内の研究部門に器材の研究、実験、審査という軍政の一部も行わせるのが井上案であった。 井上案のほかにも陸軍中央には航空改革に関する各方面からの意見が提出され、具体的な実行案が翌年まとまった。「航空兵科の独立は保留とする」「航空兵団の編成は時期尚早であり、とりあえず交通兵団から分離し一般師団に編入する」「臨時軍用気球研究会は廃止し航空学校を創設する」「陸軍省軍務局には専任の航空課を置く」そして「井上案の航空局は規模を縮小した陸軍航空部として設立し、陸軍大臣に直隷して航空の軍政と教育に関する業務を担任させる」というものである。最終的には1919年(大正8年)3月に陸軍次官を長として組織された制度調査委員が陸軍航空部の創設を決議して大臣に報告した。
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